1列王8.54-61
神様に心が向くのは、神様ご自身がそうしてくれるからです。神様がそうしてくれないと、僕らが自分の力で神様を知ろうとか、従おうとしても限界があります。ソロモンは祈りました。自分たちの心が神さまに傾けさせてもらえますように、愛する心や従いたい気持ちを神様が与えてくれるように。
"私たちの神、主が、私たちの先祖とともにいてくださったように、私たちとともにいて、私たちを見放さず、私たちをお見捨てになることがありませんように。
私たちの心を主に傾けさせ、私たちが主のすべての道に歩み、私たちの先祖にお命じになった命令と掟と定めを守らせてくださいますように。"
列王記 第一 8章57~58節
神様と近くなることは、神さまが引き寄せてくださらなければできません。イエス様も「わたしを遣わされた父が引き寄せてくださらなければ、だれもわたしのもとに来ることはできません。」とおっしゃってます。(ヨハネ6章44節)
神様が引き寄せてくださって僕らの心が主と一つにされることは最高に安心で安全なことです。僕らの判断をはるかに超えた神様の答えが与えられるからです。これは、「しんどいけどルール守らなきゃ…」ではなく、むしろもっと愛したい、自分をささげたい、と思うことです。
聖書は言います。「神を愛するとは、神の命令を守ることです。その命令は重荷とはなりません。」(1ヨハネ5.3)
これは礼拝とか集会の時だけじゃなくて、日常生活の全部です。トラブルや問題や心配はいつもあるけど、何でも神様に相談できて、神様からの答えも与えられます。神様との関係は双方向です。神様の命令を聞く、教えられる、という方向と、僕らの願いや不安も聞いてもらえる、という方向です。神様に愛されることと、神様を愛することです。しかも神様はいつも答えてくださいます。神様との関係は双方向です。僕らが一方的にあーしてください、こーしてください、ではないし、神様から一方的にああしなさい、こうしなさい、でもありません。
"私が主の御前で願ったこれらのことばが、昼も夜も、私たちの神、主のみそば近くにあって、日常のことにおいても、しもべの訴えや、御民イスラエルの訴えを正しくかなえてくださいますように。"
列王記 第一 8章59節
イエス様も同じように祈ってくださいました。イエス様の願いはいつも僕らがイエス様と近く一つになることです。
"父よ。あなたがわたしのうちにおられ、わたしがあなたのうちにいるように、すべての人を一つにしてください。彼らもわたしたちのうちにいるようにしてください。あなたがわたしを遣わされたことを、世が信じるようになるためです。"
ヨハネの福音書 17章21節
神様に引き寄せられるときには、神様の愛と力が周りの人たちにも明らかになっていきます。
"こうして、ついに地上のあらゆる民が、主こそ神であり、ほかに神はいないことを知るに至りますように。
あなたがたは、今日のように、私たちの神、主と心を一つにし、主の掟に歩み、主の命令を守らなければならないのです。」"
列王記 第一 8章60~61節
僕らも祈りましょう。
神様、私の心をあなたに向けてください。自分の思いや力に頼るんじゃなくて、あなたと心を一つにしてください。あなたのことばを聞き、あなたに従って愛して生きることができますように。そして、その愛と力が全ての人たちに表されていきますように。
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