詩篇79.1-39
ほっこりしたいい感じの優しい神様だよね、って伝えたいんだけど、やっぱり聖書を読むと、伝えているのは怒りの神様だし、神様の怒りを受けて殺された人たちの悲惨さです。他人の悲惨な結末を伝えるのは気が引けるけど、聖書は明らかに神様を軽んじた結果どうなるか伝えています。そして次の世代にもその恐ろしさを伝えるように、さらに、次の世代がその次の世代に伝えるように、と言います。それは人々が裁かれることなく救われるためです。
"後の世代の者生まれてくる子らがこれを知りさらに彼らがその子らにまた語り告げるため
彼らが神に信頼し神のみわざを忘れずその命令を守るために。
先祖たちのように強情で逆らう世代心定まらない世代霊が神に忠実でない世代とならないために。"
詩篇 78篇6~8節
神様はイスラエルを愛し、選び、救い出し、何もない荒野でパンを食べさせ、水を飲ませ、肉を食べさせてくれました。でも彼らは不満ばかりで神様を信頼せず、愛さず、ついに神様の怒りは燃え上がってその世代ほぼ全員が滅ぼされました。
"そのとき彼らは神に逆らって言った。「荒野で食事を備えることが神にできるのか。
確かに神が岩を打たれると水が湧き出て流れがあふれた。だが神はパンも与えることができるのか。民のために肉を用意できるのか。」
それゆえ主はこれを聞いて激しく怒られた。火はヤコブに向かって燃え怒りはイスラエルに向かって燃え上がった。
これは彼らが神を信じず御救いに信頼しなかったからである。"
詩篇 78篇19~22節
"神の怒りが彼らに向かって燃え上がり彼らのうちの最も頑丈な者たちを殺しイスラエルの若い男たちを打ちのめした。
これらすべてにもかかわらず彼らはなおも罪を犯し神の奇しいみわざを信じなかった。
それで神は彼らの日を一息のうちに彼らの齢を突然の恐怖のうちに終わらせられた。"
詩篇 78篇31~33節
神様が次の世代に伝えるように願っているのは「神の怒りと裁き」です。なんとなく神話とかおとぎ話っぽいと思われるけど、本当です。これがハッキリわかるように、イエス様は神の怒りと裁きを受けるために地上に来られました。神様に呪われ、十字架の上で悲惨な死に方をされました。イエス様の十字架は神の怒りと呪いです。
神様が僕らに知ってほしいことは神の怒りと裁きです。そして、その呪いをイエス・キリストが身代わりに引き受けてくれたことです。
"キリストは、ご自分が私たちのためにのろわれた者となることで、私たちを律法ののろいから贖い出してくださいました。「木にかけられた者はみな、のろわれている」と書いてあるからです。"
ガラテヤ人への手紙 3章13節
イスラエルの歴史は、神の怒りの歴史です。そんなイスラエルを神様は滅ぼし尽くすことはせず、イエス様を地上に送り、神の怒りのためのなだめとされました。僕らへの神様の怒りはイエス様が身代わりに受けてくれました。
"しかし神はあわれみ深く彼らの咎を赦して滅ぼされなかった。怒りを何度も抑えて憤りのすべてをかき立てられることはなかった。"
詩篇 78篇38節
"この方こそ、私たちの罪のための、いや、私たちの罪だけでなく、世全体の罪のための宥めのささげ物です。"
ヨハネの手紙 第一 2章2節
イエス様の十字架での呪いと死は、神様がどれだけ本気で怒ってるかハッキリ表しています。そして、同時に、それを引き受けてくださるイエス様のとんでもなく大きな愛を表しています。
僕らは赦されました。怒りを受けなくても大丈夫です。
聖書が伝えているのは、本気で怒り、殺す神様です。そして、身代わりになって赦してくださる神様です。これが福音であり真理です。
「もし私たちが、真理の知識を受けて後、ことさらに罪を犯し続けるならば、罪のためのいけにえは、もはや残されていません。ただ、さばきと、逆らう人たちを焼き尽くす激しい火とを、恐れながら待つよりほかはないのです。」(ヘブル10.26-27)
今日もただ感謝しましょう。主を恐れ、主に従いましょう。福音はただほっこりした話ではありません。神様の本気の怒りと、本気の愛です。主を恐れます。ハレルヤ!
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