ローマ4.1-8
ダビデは権力を使って他人の奥さんと体の関係を持ち、妊娠させ、それがバレそうになったので相手の夫を「戦死」というテイで上手に殺します。ところがそれは彼を苦しめました。罪悪感に悩み、疲れ、うめきます。
私が黙っていたとき私の骨は疲れきり私は一日中うめきました。
昼も夜も御手が私の上に重くのしかかり骨の髄さえ夏の日照りで乾ききったからです。
詩篇 32篇3~4節
ダビデは自分の罪を神様に告白しました。すると神様は赦してくださいました。
私は自分の罪をあなたに知らせ自分の咎を隠しませんでした。私は言いました。「私の背きを主に告白しよう」と。するとあなたは私の罪のとがめを赦してくださいました。"
詩篇 32篇5節
ダビデはうれしくて、感謝して歌います。
"「幸いなことよ、不法を赦され、罪をおおわれた人たち。
幸いなことよ、主が罪をお認めにならない人。」"
ローマ人への手紙 4章7~8節
ダビデは、結婚生活をちゃんとやり直したから赦されたのではありません。自力ではもうどうにもなりませんでした。妊娠させた赤ちゃんは病気で死にました。それでもダビデは神様に赦されます。彼は不幸になって当然、破滅して当然、神さまに呪われて当然なのに、赦されました。
「幸いなことよ、主が罪をお認めにならない人。」とは、まるで一度も罪を犯したことがないかのように扱われる人です。それは努力して良い人になってから手にした報酬ではありません。ただ、神様の赦しを信じたことによって与えられるものです。
"働く者にとっては、報酬は恵みによるものではなく、当然支払われるべきものと見なされます。
しかし、働きがない人であっても、不敬虔な者を義と認める方を信じる人には、その信仰が義と認められます。"
ローマ人への手紙 4章4~5節
アブラハムも同じです。ただ神様のことばを信じました。「それが彼の義と認められた」(3)とあります。努力とか報酬で手に入れたのと全然違います。
"聖書は何と言っていますか。「アブラハムは神を信じた。それで、それが彼の義と認められた」とあります。"
ローマ人への手紙 4章3節
今日も責める声がどこからか聞こえてきます。「お前はあんな失敗もした、こんな恥ずかしいこともした」と。ハッキリと口にして攻撃する人もいます。僕らも同じように他人の欠点も数え上げては攻撃します。「あの人はこうだった、ああだからダメなんだ」と。自分で自分も責めます。ところが、神様は間逆のことを言います。
"しかし、働きがない人であっても、不敬虔な者を義と認める方を信じる人には、その信仰が義と認められます。"
ローマ人への手紙 4章5節
失敗し、恥をかいてきた人たちをあえて神様は選び、義と認めてくださいます。その人は「働きがない」「不敬虔な者」です。(5)まるでまっさらな、キレイな人のように扱ってくださいます。それが神様から与えられる「義」です。
敵は過去の失敗や恥を数え上げるのが大好きで「告発者、日夜彼らを私たちの神の御前で訴えている者」です。(黙示録12.10)今日も自分を責め、周りを責める声が聞こえてきます。
だから言い返してやりましょう。「働きがない人であっても、不敬虔な者を義と認める方を信じる人には、その信仰が義と認められます。」ハレルヤ!
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