ローマ6.12-23
イエス様を知らなかった時、声は他人を思い通りにしようとしたり、悪口言ったり、自慢したりするためのものでした。手足も目も耳も自分の欲と罪のための道具でした。その結果、人との関係は悪くなり、自分との関係も悪くなりました。いろんなものを失いました。「そのころ、あなたがたはどんな実を得ましたか。今では恥ずかしく思っているものです。それらの行き着くところは死です。」(21)ところが、僕らは罪の奴隷から解放され、今度はイエス様とつながり、手足も口も耳も目も神様の道具になりました。今はいろんなものが回復している途中です。
"また、あなたがたの手足を不義の道具として罪に献げてはいけません。むしろ、死者の中から生かされた者としてあなたがた自身を神に献げ、また、あなたがたの手足を義の道具として神に献げなさい。"
ローマ人への手紙 6章13節
"あなたがたの肉の弱さのために、私は人間的な言い方をしています。以前あなたがたは、自分の手足を汚れと不法の奴隷として献げて、不法に進みました。同じように、今はその手足を義の奴隷として献げて、聖潔に進みなさい。"
ローマ人への手紙 6章19節
以前は悪いことや恥ずかしいことばかり言う声だったけど、今は神様を賛美し、祈り、他の人を愛するための声です。
以前は自分の欲望を満たすものばかり探す恥ずかしい目だったけど、今は神様と人を愛するための目になりました。以前はくだらないことばかり聞く耳だったけど、今は神様の言葉を聞き、人を愛するために聞く耳になりました。
この体全部が神様の体となりました
僕らはこの体を神様のために差し出すことができます。神様の奴隷です。それは幸せな喜びと自由に満ちた奴隷です。
僕らは誰かにこの体を差し出すか自由があります。罪も選べます。
ただし一択です。神様にささげながら同時に罪にも差し出すことはできません。一つだけ選んだ相手の奴隷になります。
"あなたがたは知らないのですか。あなたがたが自分自身を奴隷として献げて服従すれば、その服従する相手の奴隷となるのです。つまり、罪の奴隷となって死に至り、あるいは従順の奴隷となって義に至ります。"
ローマ人への手紙 6章16節
すでに自由です。選べるのは一つです。神様かお金か?神様か肉欲か?神様か自慢か?両方は無理です。僕らの手足は神様のためのものです。
罪にささげても恥ずかしいだけです。人間関係は壊れ、信用は壊れ、健康も失います。そのことを聖書は「行き着くところは死です」と言います。(21節)
でも、神様に手足をささげるなら、人間関係は回復し、信用も復活し、健康にもなります。
"しかし今は、罪から解放されて神の奴隷となり、聖潔に至る実を得ています。その行き着くところは永遠のいのちです。
罪の報酬は死です。しかし神の賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。"
ローマ人への手紙 6章22~23節
今日も神様にこの体全部を差し出しましょう。神様のいのちが自分にも周りの人たちにも流れ出します。ハレルヤ!
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