2026年6月22日月曜日

1歴代23.24-32

 1歴代23.24-32


神様は僕らと一緒に住みたい、歩みたいと願っておられます。神様のこの願いがどのように実現していくのか、聖書は僕らに教えてくれています。


旧約聖書の時代は僕らから見ると「過去」です。そして当時のイスラエルも僕らと同じく罪深い人間です。それでも神様は一緒に生活したい、歩みたいと願って、居住地の中心に「神様の臨在の場所」を作るようにおっしゃいました。



"その場所でわたしはあなたがたに会い、その場所であなたと語る。

その場所でわたしはイスラエルの子らと会う。そこは、わたしの栄光によって聖なるものとされる。"

出エジプト記 29章42~43節


"わたしはイスラエルの子らのただ中に住み、彼らの神となる。"

出エジプト記 29章45節



最初は移動式の「幕屋」でしたがダビデの時代になってエルサレムの真ん中に固定された「神殿」を作ることになります。幕屋も神殿も神様の願いは一つです。人々と交わり、一緒に生き、歩むことです。聖なる神様が汚れた人間と交わるためには、毎日の「きよめのためのいけにえ」が必要です。「血を流すことがなければ、罪の赦しはありません。」(ヘブル9章22節)

そのためにレビ人たちは、毎日いけにえをささげました。罪の赦しときよめのためでもあり、そして神様との交わりのためでもあります。



"彼らの役目は、主の宮に仕えるアロンの子らを、庭、脇部屋、すべての聖なるものに関わるきよめ、また、神の宮での奉仕のわざをもって助けることである。

また、彼らは、並べ供えるパン、穀物のささげ物の小麦粉、種なしの薄焼きパン、平鍋、混ぜ合わせたもの、また各種の量や大きさを計ること、

朝ごとに、立って主をほめたたえ、賛美し、夕べにも同様にすること、

安息日、新月の祭り、および例祭ごとに、主に献げられるすべての全焼のささげ物が、主の前に絶えず、定められた数で献げられることについても責任を負う。

彼らは、主の宮の奉仕に関して、会見の天幕の任務、聖所の任務、同族アロンの子らの任務に当たった。"

歴代誌 第一 23章28~32節



神殿でパンを準備することは、将来、僕らが対面で親密に神様との食卓に着くことの先取りです。ほかにも決められた通り、毎日絶えず神様へのささげものが決められていました。特に「朝ごとに、立って主をほめたたえ、賛美し、夕べにも同様にすること、」(30)は大事なことでした。



このスタイルやり方は「過去」ですが、神様の願いは今も昔も同じです。

このやり方は、「イエスキリストが地上に来られる時まで」と決まっていたものです。神様と人の交わりの方法は新しくされ、深化してきました。このことを聖書は「第二のものを立てるために、初めのものを廃止される」(ヘブル10:9)と言います。この礼拝スタイルをイエス様がどのように新しくバージョンアップしたか、特にヘブル人への手紙は詳しく説明しています。



"律法には来たるべき良きものの影はあっても、その実物はありません。ですから律法は、年ごとに絶えず献げられる同じいけにえによって神に近づく人々を、完全にすることができません。"

ヘブル人への手紙 10章1節



新しい方法は、イエス様自身が完璧なきよめのためのささげものとなってくださり、十字架で血を流し、命をささげることでした。



"ですからキリストは、この世界に来てこう言われました。「あなたは、いけにえやささげ物をお求めにならないで、わたしに、からだを備えてくださいました。

全焼のささげ物や罪のきよめのささげ物をあなたは、お喜びにはなりませんでした。

そのとき、わたしは申しました。『今、わたしはここに来ております。巻物の書にわたしのことが書いてあります。神よ、あなたのみこころを行うために。』」"

ヘブル人への手紙 10章5~7節



"それから、「今、わたしはあなたのみこころを行うために来ました」と言われました。第二のものを立てるために、初めのものを廃止されるのです。

このみこころにしたがって、イエス・キリストのからだが、ただ一度だけ献げられたことにより、私たちは聖なるものとされています。

さらに、祭司がみな、毎日立って礼拝の務めをなし、同じいけにえを繰り返し献げても、それらは決して罪を除き去ることができませんが、

キリストは、罪のために一つのいけにえを献げた後、永遠に神の右の座に着き、

あとは、敵がご自分の足台とされるのを待っておられます。

なぜなら、キリストは聖なるものとされる人々を、一つのささげ物によって永遠に完成されたからです。"

ヘブル人への手紙 10章9~14節



僕らはイエス様を信じ受け入れることによって、聖なる神様との交わりに招かれました。きよめられ、赦され、受け入れられています。まるで毎日神様との食卓についているかのようです。イエス様と交わることは、天からのいのちのパンを毎日食べてるのと同じです。



"イエスは言われた。「わたしがいのちのパンです。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者はどんなときにも、決して渇くことがありません。"

ヨハネの福音書 6章35節



"わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、わたしのうちにとどまり、わたしもその人のうちにとどまります。"

ヨハネの福音書 6章56節



今も昔も、そして未来も神様が願っておられるのは、毎日賛美の歌をささげることです。神殿ルールはバージョンアップして、「いけにえ」=「賛美することと、隣人を愛し仕えること」になりました。



"それなら、私たちはイエスを通して、賛美のいけにえ、御名をたたえる唇の果実を、絶えず神にささげようではありませんか。

善を行うことと、分かち合うことを忘れてはいけません。そのようないけにえを、神は喜ばれるのです。"

ヘブル人への手紙 13章15~16節



レビ人は絶えず賛美しました。だから僕らも絶えず賛美します。

レビ人は神殿で仕えました。だから僕らも神様の家である教会に仕えます。レビ人は動物の犠牲をささげました。僕らはキリストの十字架の犠牲に感謝して互いに仕え合います。

僕らは現代版レビ人です。イスラエルも日本人も差はありません。奴隷も自由人もなく、男子も女子もありません。(ガラテヤ3.28)今日もイエス様にお仕えしましょう。賛美し、感謝しましょう。ハレルヤ!

0 件のコメント:

コメントを投稿