使徒5.40-42
痛みとか恥とか苦しみには2種類あります。
一つ目は、自分の罪の結果の苦しみや恥です。
もう一つはイエス様のための苦しみです。
もし苦しみがイエス様のためならば、それは祝福され、喜ばれている証拠です。その人には、御霊が豊かに注がれ、天では大きな報いが用意されています。
ペテロたちは脅され、ムチの拷問を受けました。それは皮が裂けて命を失う人がいるほどの恐ろしい拷問です。
"使徒たちを呼び入れて、むちで打ち、イエスの名によって語ってはならないと命じたうえで、釈放した。
使徒たちは、御名のために辱められるに値する者とされたことを喜びながら、最高法院から出て行った。"
使徒の働き 5章40~41節
ところが彼らは、この苦しみが神様に喜ばれ祝福されていると知って喜びます。「そして毎日、宮や家々でイエスがキリストであると教え、宣べ伝えることをやめなかった。 」(42)とあります。
イエス様はおっしゃいます。
"わたしのために人々があなたがたをののしり、迫害し、ありもしないことで悪口を浴びせるとき、あなたがたは幸いです。
喜びなさい。大いに喜びなさい。天においてあなたがたの報いは大きいのですから。あなたがたより前にいた預言者たちを、人々は同じように迫害したのです。"
マタイの福音書 5章11~12節
ペテロ自身も手紙で次のように書いています。「キリストの名のためにののしられるなら、あなたがたは幸いです。」
キリストのための苦しみは祝福されているし、御霊がおられるしるしです。
"もしキリストの名のためにののしられるなら、あなたがたは幸いです。栄光の御霊、すなわち神の御霊が、あなたがたの上にとどまってくださるからです。
あなたがたのうちのだれも、人殺し、盗人、危害を加える者、他人のことに干渉する者として、苦しみにあうことがないようにしなさい。
しかし、キリスト者として苦しみを受けるのなら、恥じることはありません。かえって、このことのゆえに神をあがめなさい。"
ペテロの手紙 第一 4章14~16節
みんな苦しみ、恥、痛みがあります。そのような苦しみに合っているなら自分に聞いてみましょう。「この苦しみは何のための苦しみなのか?」と。プライドが傷ついた苦しみなのか、自分の罪の後始末なのか、自分の思い通りにしたいゆえなのか、と。
そのようなものなら祝福とは言えません。
もし、苦しみや痛みがイエス様に従った結果とか、正しいことをした結果とか、イエス様の福音のためならば、聖書は何度も「喜びなさい」「幸いです」「恥じることはない」「報いが大きい」と繰り返しています。
2種類の苦しみがあります。もしイエス様のために苦しみなら祝福です。ハレルヤ!
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