2024年4月5日金曜日

出エジプト4.22-23

 出エジプト4.22-23


神様は大き過ぎて僕らにはわからないことだらけです。その1つがイスラエルのことです。神様のイスラエルに対する愛とご計画は特別に大きくて理解を超えています。神様にとってイスラエルは特別な愛する子どもたち、しかも、神様のことばによって生み出された長子です。そして、愛するイスラエルを苦しめる者を神様は容赦せずに怒り、殺します。神様おっしゃいます。



(22-23節)

そのとき、あなたはファラオに言わなければならない。主はこう言われる。『イスラエルはわたしの子、わたしの長子である。

わたしはあなたに言う。わたしの子を去らせて、彼らがわたしに仕えるようにせよ。もし去らせるのを拒むなら、見よ、わたしはあなたの子、あなたの長子を殺す。』」



神様はイスラエルを「長子」呼んで、神様がお造りになった特別な子どもたちだと言います。彼らは神様がアブラハムに与えたことばによって造られた人たちです。



(創世 12:2-3) 

そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとしよう。あなたの名は祝福となる。あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。


(創世 22:17-18)

わたしは確かにあなたを大いに祝福し、あなたの子孫を、空の星、海辺の砂のように数多く増し加えよう。そしてあなたの子孫は、その敵の門を勝ち取るであろう。あなたの子孫によって、地のすべての国々は祝福を受けるようになる。



祝福とは喜び受け入れ愛することです。神様にとってイスラエル人は特別な子です。もしイスラエルを虐待する者がいるなら神様が黙っていません。親なら、愛する子どもが犬に噛み殺されされるのを黙って見ているはずがありません。同じように、神様はイスラエルを苦しめる相手に報復します。もし、エジプトがイスラエルを奴隷にすることを止めないなら神様は同じように報復し、全ての世帯の長子を殺す、と警告します。



(23節)

わたしはあなたに言う。わたしの子を去らせて、彼らがわたしに仕えるようにせよ。もし去らせるのを拒むなら、見よ、わたしはあなたの子、あなたの長子を殺す。』」



神様は最初からアブラハムに「あなたをのろう者をわたしはのろう。」とおっしゃっていました。(創世記12.3)そして、この言葉通りにエジプトの長子は全員殺されました。



(出エジプト記 12章29~30節)

真夜中になったとき、主はエジプトの地のすべての長子を、王座に着いているファラオの長子から、地下牢にいる捕虜の長子に至るまで、また家畜の初子までもみな打たれた。

その夜、ファラオは彼の全家臣、またエジプト人すべてとともに起き上がった。そして、エジプトには激しく泣き叫ぶ声が起こった。それは死者のいない家がなかったからである。



僕らには復讐が禁止されています。でも神様は正しく復讐する方です。「復讐はわたしのすることである。わたしが報いをする。」(ローマ12.19、ヘブル10.30など)

あなたの長子を殺す、とおっしゃった通りにエジプト中の長子は殺されました。この神様のことばは今も同じように正しくこの世界に怒りと裁きを下されます。


人間の視点から見ると、戦争は単に政治的な争いや人間の欲望ゆえ、に見えるかもしれません。でも、神様には大きな怒りがあるようにも思います。神様のイスラエルに対する愛とご計画は特別すぎて、大きすぎて僕らの理解を超えています。その愛ゆえに歴史は動きます。しかも、この大きすぎる愛と祝福の計画に異邦人の僕らも入れられています。(ガラテヤ3.7-9)もう一度主とそのことばを恐れましょう。正しく報復される主の前にひれ伏しましょう。


(詩篇19篇9節)

主からの恐れはきよくとこしえまでも変わらない。主のさばきはまことでありことごとく正しい。



2024年4月4日木曜日

出エジプト4.1-17

 出エジプト4.1-17


拒絶された体験は心に刻みつけられ、その拒絶体験がまるで永遠の真実かのように人を恐れさせて動けなくしてしまうことがあります。モーセがそうでした。若い頃、同胞のイスラエル人たちから拒絶され、エジプト人からも命を狙われた悲しい体験と傷は、モーセが高齢になってもなお彼を縛っていました。(2章3節-4節) 


神様は傷つき弱くなったモーセを用いてくださいます。もう一度呼び、イスラエル人たちのところに行き、また、ファラオのところに行ってイスラエルを解放するように言われます。しかも、イスラエルもファラオも「あなたの声に聞き従う」と言う保証付きです。



(出エジプト記 3章18節)

彼らはあなたの声に聞き従う。あなたはイスラエルの長老たちと一緒にエジプトの王のところに行き、彼にこう言え。『ヘブル人の神、主が私たちにお会いくださいました。今、どうか私たちに荒野へ三日の道のりを行かせ、私たちの神、主にいけにえを献げさせてください。』



それでも傷ついているモーセは信じられず、信じたくもなく、信じる勇気もなく、自分はムリ、と決めつけます。



(出エジプト記 4章1節)

モーセは答えた。「ですが、彼らは私の言うことを信じず、私の声に耳を傾けないでしょう。むしろ、『主はあなたに現れなかった』と言うでしょう。」



神様はモーセを励ますために奇跡を行う力を与えてくださいました。彼の弱さや傷を上から裁くのではなく、むしろハードルを下げて寄り添ってくださいます。神様は3つの奇跡を行う力を彼に与えてくださいました。



(出エジプト記 4章2~9節)

主は彼に言われた。「あなたが手に持っているものは何か。」彼は答えた。「杖です。」

すると言われた。「それを地に投げよ。」彼はそれを地に投げた。すると、それは蛇になった。モーセはそれから身を引いた。

主はモーセに言われた。「手を伸ばして、その尾をつかめ。」彼が手を伸ばしてそれを握ると、それは手の中で杖になった。

「これは、彼らの父祖の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神、主があなたに現れたことを、彼らが信じるためである。」

主はまた、彼に言われた。「手を懐に入れよ。」彼は手を懐に入れた。そして出した。なんと、彼の手はツァラアトに冒され、雪のようになっていた。

また主は言われた。「あなたの手をもう一度懐に入れよ。」そこで彼はもう一度、手を懐に入れた。そして懐から出した。なんと、それは再び自分の肉のようになっていた。

「たとえ彼らがあなたを信じず、また初めのしるしの声に聞き従わなくても、後のしるしの声は信じるであろう。

もしも彼らがこの二つのしるしを両方とも信じず、あなたの声に聞き従わないなら、ナイル川の水を汲んで、乾いた地面に注ぎなさい。あなたがナイル川から汲んだその水は、乾いた地面の上で血となる。」"



彼らの力が与えられてもモーセはこの役目を辞退します。人々に話すことを想像するだけで怖いのです。彼は理由をつけて逃れようとします。



(出エジプト記 4章10~13節)

モーセは主に言った。「ああ、わが主よ、私はことばの人ではありません。以前からそうでしたし、あなたがしもべに語られてからもそうです。私は口が重く、舌が重いのです。」

主は彼に言われた。「人に口をつけたのはだれか。だれが口をきけなくし、耳をふさぎ、目を開け、また閉ざすのか。それは、わたし、主ではないか。

今、行け。わたしがあなたの口とともにあって、あなたが語るべきことを教える。」

すると彼は言った。「ああ、わが主よ、どうかほかの人を遣わしてください。」



いくら説得しても引き受けないモーセに神様は怒りますが、それでも彼を見捨てることはなく、さらに助けを与えてくださいます。



(出エジプト記 4章14~17節)

すると、主の怒りがモーセに向かって燃え上がり、こう言われた。「あなたの兄、レビ人アロンがいるではないか。わたしは彼が雄弁であることをよく知っている。見よ、彼はあなたに会いに出て来ている。あなたに会えば、心から喜ぶだろう。

彼に語り、彼の口にことばを置け。わたしはあなたの口とともにあり、また彼の口とともにあって、あなたがたがなすべきことを教える。

彼があなたに代わって民に語る。彼があなたにとって口となり、あなたは彼にとって神の代わりとなる。

また、あなたはこの杖を手に取り、これでしるしを行わなければならない。」



神様は僕らの弱さや傷を知り、できるところまでハードルを下げて用いてくださいます。強さは人によって違います。傷も弱点も人によって違います。神様はその人に合ったちょうど良い役目、ちょうど良い力と助けを与えてくださいます。その優しさと配慮は今日も僕らの上に注がれています。必要な力も助けも与えられます。今日も大丈夫です。ハレルヤ!





2024年4月3日水曜日

出エジプト3章

 出エジプト3章

2024年4月2日火曜日

出エジプト2章

 出エジプト2章


苦しいのは嫌です。でも悲しみはあります。悲しむ人は幸いだとさえイエス様は言われます。(マタイ5.3-11)嘆きつつ神様に叫び求める事は必要なことです。痛みは避けたいですが、その苦しみゆえに心を注ぎ出して祈り、祈りを経て神様を大きく体験するのも事実です。

ユダヤ人はエジプトに奴隷となり苦しめられました。何年も苦しみ神様に泣き叫びました。そしてその祈りは神様に聞かれます。



(1章13-14節)

それでエジプト人は、イスラエルの子らに過酷な労働を課し、漆喰やれんが作りの激しい労働や、畑のあらゆる労働など、彼らに課す過酷なすべての労働で、彼らの生活を苦しいものにした。



(23節-25節)

それから何年もたって、エジプトの王は死んだ。イスラエルの子らは重い労働にうめき、泣き叫んだ。重い労働による彼らの叫びは神に届いた。神は彼らの嘆きを聞き、アブラハム、イサク、ヤコブとの契約を思い起こされた。神はイスラエルの子らをご覧になった。神は彼らをみこころに留められた。



神様は1度もイスラエル人たちを見捨てた事はありません。ですが同時に彼らが苦しみを通る事が大事なステップとして預言されていました。「神は彼らの嘆きを聞き、アブラハム、イサク、ヤコブとの契約を思い起こされた。」とあります。(24)忘れていたのではありません。神様がイスラエルを祝福する約束はどんな試練によっても取り消されることはありません。神様の契約は創世記に何度も繰り返されています。



(創世記15章13~14節)

主はアブラムに言われた。「あなたは、このことをよく知っておきなさい。あなたの子孫は、自分たちのものでない地で寄留者となり、四百年の間、奴隷となって苦しめられる。

しかし、彼らが奴隷として仕えるその国を、わたしはさばく。その後、彼らは多くの財産とともに、そこから出て来る。



苦しみの後で祝福される事はゆるぎない約束です。これはイエス様を信じる僕らにも与えられています。祝福の前には苦しみにも会うことも聖書が何度も伝えていることです。



(使徒の働き 14章22節)

「私たちは、神の国に入るために、多くの苦しみを経なければならない」



(ヨハネの福音書 16章33節)

世にあっては苦難があります。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝ちました。



(ローマ人への手紙 8章17節)

私たちはキリストと、栄光をともに受けるために苦難をともにしているのですから、神の相続人であり、キリストとともに共同相続人なのです。



(テサロニケ人への手紙 第一 3章3節)

このような苦難の中にあっても、だれも動揺することがないようにするためでした。あなたがた自身が知っているとおり、私たちはこのような苦難にあうように定められているのです。



イスラエルの赤ちゃんが次々と殺されるような試練の中で、神様は祝福への準備をされていました。イスラエル人ゆえに川に捨てられた赤ちゃんモーセはファラオの王女に拾われ、特別な英才教育を受け「モーセは、エジプト人のあらゆる学問を教え込まれ、ことばにも行いにも力がありました。」とあります。(使徒の働き7章22節)また、モーセは挫折しどん底も経験します。怒ってエジプト人を殺し、砂に死体を隠しましたがそれが王様にも伝わり、彼は恐れて逃亡します。その惨めな経験全てが、神様のご計画の御手の中にありました。(1-22節)


僕らにもナゼこんなことが?神様どうしてですか?と思うことがあります。それでも全ては神様の御手の中にあります。全てが栄光と勝利に変わる日のための通過点です。今日の悲しみ苦しみを神様に祈りましょう。神様の祝福の約束は忘れられていません。神様は聞いてくださっています。人の思いを遥かに超えた神様のご計画が今日も実現しています。


(詩篇145篇18~19節)

主を呼び求める者すべてまことをもって主を呼び求める者すべてに主は近くあられます。

また主を恐れる者の願いをかなえ彼らの叫びを聞いて救われます。




2024年4月1日月曜日

出エジプト1章

 出エジプト1章


ある牧師が言っていました「恐れる相手は1人だけ。」神様以外は恐れなくていい、という意味です。エジプトのファラオはユダヤ人たちが増えていくのを恐れ、重い労役で苦しめ、弱体化させようとしました。「しかし、苦しめれば苦しめるほど、この民はますます増え広がったので、人々はイスラエルの子らに恐怖を抱くようになった。」とあります。(12)ユダヤ人たちが増えて広がり祝福されることは、創世記に何度も書かれています。ユダヤ人とは神様が作り、選び、祝福している人々です。彼らを虐待することは神様への反逆です。



(創世記 28章14~15節)

あなたの子孫は地のちりのように多くなり、あなたは、西へ、東へ、北へ、南へと広がり、地のすべての部族はあなたによって、またあなたの子孫によって祝福される。

見よ。わたしはあなたとともにいて、あなたがどこへ行っても、あなたを守り、あなたをこの地に連れ帰る。わたしは、あなたに約束したことを成し遂げるまで、決してあなたを捨てない。」



ファラオは虐待しても力強く増えていくユダヤ人たちを恐れました。ユダヤ人たちの背後には神様がついているからです。ファラオは今度は生まれたらすぐに殺して人口を減らそうと考えます。それで、男子はすぐに殺すように助産婦に命令しました。しかし、助産婦たちは地上の権力者よりも神様を恐れて拒否します。



(15節から17節)

また、エジプトの王は、ヘブル人の助産婦たちに命じた。一人の名はシフラ、もう一人の名はプアであった。

彼は言った。「ヘブル人の女の出産を助けるとき、産み台の上を見て、もし男の子なら、殺さなければならない。女の子なら、生かしておけ。」

しかし、助産婦たちは神を恐れ、エジプトの王が命じたとおりにはしないで、男の子を生かしておいた。



助産婦たちは見える権力者よりも神様を恐れました。彼女たちはファラオに呼ばれて問い詰められます。即刻死刑でもおかしくない場面です。それでも彼女たちは王よりも神様に従います。



(18節から19節)

そこで、エジプトの王はその助産婦たちを呼んで言った。「なぜこのようなことをして、男の子を生かしておいたのか。」

助産婦たちはファラオに答えた。「ヘブル人の女はエジプト人の女とは違います。彼女たちは元気で、助産婦が行く前に産んでしまうのです。」



神様を優先し恐れ従うことを神様は喜んでくださいます。彼女たちは祝福されました。



(20節から21節)

神はこの助産婦たちに良くしてくださった。そのため、この民は増えて非常に強くなった。

助産婦たちは神を恐れたので、神は彼女たちの家を栄えさせた。


助産婦たちは、神様がユダヤ人を祝福し海の砂のように、星の数のように増やすこと約束を知っていました。聖書は僕らにも言います。「人に従うより、神に従うべきです。」(使徒の働き5.29)今日も恐れるべきはただお一人です。


(マタイ10.28)

「からだを殺しても、たましいを殺せない人たちなどを恐れてはなりません。そんなものより、たましいもからだも、ともにゲヘナで滅ぼすことのできる方を恐れなさい。」


(伝道者の書12.13~14)

結局のところ、もうすべてが聞かされていることだ。神を恐れよ。神の命令を守れ。これが人間にとってすべてである。神は、善であれ悪であれ、あらゆる隠れたことについて、すべてのわざをさばかれるからである。


主を誰より優先して従うことに神様の喜びがあります。そして、そこに祝福があります。主が僕らの味方です。目先の強い人に嫌われても、攻撃されても、神様に喜ばれています。「人がもし、不当な苦しみを受けながらも、神の前における良心のゆえに、悲しみをこらえるなら、それは喜ばれることです。」(1ペテロ2.10)だから大丈夫です!ハレルヤ!