2024年5月11日土曜日

出エジプト22.21-23.9「主がしてくださったように」

 出エジプト22.21-23.9「主がしてくださったように」


聖書の言葉を理解するときに大切な事は、誰が、誰に言っているのか?誰がいつどこで言っているのか?です。


今日の箇所は神様がイスラエルの人々に言った言葉です。いつ?イスラエル人たちが430年間奴隷だったけど、救い出され、エジプトから脱出できた時に神様がおっしゃった言葉です。


●弱い人の叫びを聞いてくださる神様


(21節から24節)

21,寄留者を苦しめてはならない。虐げてはならない。あなたがたもエジプトの地で寄留の民だったからである。

22,やもめ、みなしごはみな、苦しめてはならない。

23,もしも、あなたがその人たちを苦しめ、彼らがわたしに向かって切に叫ぶことがあれば、わたしは必ず彼らの叫びを聞き入れる。

24,そして、わたしの怒りは燃え上がり、わたしは剣によってあなたがたを殺す。あなたがたの妻はやもめとなり、あなたがたの子どもはみなしごとなる。


寄留者とは居場所がなく身を寄せる人たちのことです。今度は、あなた方はその人たちを虐げたり苦しめてはならない、とおっしゃいます。

今まで、あなた方はエジプトで寄留者として、430年も苦しめられ虐げられてきました。今度はあなた方はそのような居場所のない人、身を寄せる人を苦しめてはいけないし、頼るべき夫を亡くしたやもめとか、親を失ったみなしごを苦しめてはならないとおっしゃいます。

あなた方も同じように苦しんでいた時に神様に助けられたのだから、今度はあなた方が弱い人たちによくしてやりなさいと言うことです。あなた方はそのその人たちの気持ちが1番わかってるはずだから、です。


(23章9節)

あなたは寄留者を虐げてはならない。あなたがたはエジプトの地で寄留の民であったので、寄留者の心をあなたがた自身がよく知っている。


イスラエル人たちは虐待され続けた時、神様に叫び求めました。祈りに答えてくださっった神様がエジプトに災害を下し、最終的にはエジプトの全世帯の長男は殺されました。海が分かれて道ができ、その道をとってイスラエル人たちは救われ、追いかけてきたエジプト軍は全部溺れ死んでしまいました。

イスラエル人たちは少し前に海岸で無数のエジプト軍の死体を見て、神様は虐げられている者たちの祈りや叫を聞いてくださることを体験しました。神様が本当に怒って復讐する方だと体験した人たちです。


(23-24)

23,もしも、あなたがその人たちを苦しめ、彼らがわたしに向かって切に叫ぶことがあれば、わたしは必ず彼らの叫びを聞き入れる。

24,そして、わたしの怒りは燃え上がり、わたしは剣によってあなたがたを殺す。あなたがたの妻はやもめとなり、あなたがたの子どもはみなしごとなる。


もしもあなたがその弱い人たちを苦しめるならば、神様は彼らの祈りに応えて、あなた方を殺すと言います。神様の言葉に従うかどうか、それは命に関わることでした。実際、この時イスラエル人たち神様のことばが命を奪う権威があることを体験したばかりで、エジプト人の全世帯の長男が殺されたのを見ました。


神様の言葉は強制力のない、フワッとした言葉ではありません。神様の言葉は人を生かしたり殺したりする力のある言葉です。元々、神様はことばだけで世界をお作りになりました。これを聞いた時、イスラエル人たちは神様の言葉を恐れました。死んでしまう、とさえ思ったようです。


(20章18-19節)

18,民はみな、雷鳴、稲妻、角笛の音、煙る山を目の前にしていた。民は見て身震いし、遠く離れて立っていた。

19,彼らはモーセに言った。「あなたが私たちに語ってください。私たちは聞き従います。しかし、神が私たちにお語りになりませんように。さもないと、私たちは死んでしまいます。」


彼らにとっての神様の言葉は、僕らが思うよりもずっと恐れるべきものでした。僕らが手出しできない圧倒的な権威があるのが神様の言葉です。そして、今も神様の言葉はその通りになります。


イスラエルが体験した苦しみは、今度は彼らが弱い人たち苦しむ人たちに親切にするためのものでした。

居場所のない寄留者の気持ちをイスラエルは知りました。自分を守ってくれる人がいないみなしごの気持ち、やもめの気持ちを知りました。だから、あなた方は、弱い人たちに、親切に、特に親切にしなさいと主が言われます。


僕らは病気になりたくないし、貧乏になりたくないし、人間関係で苦しみたくないけれども、でも、その苦しみはとても大事で、それによって、僕らは苦しむ人と一緒に祈ることができるようになります。

神様はわざわざイスラエル人たちを苦しみを通して、救われました。そして、今度はあなたがたが苦しむ人たちによくしてやりなさい、とおっしゃいます。


●弱い側になってくださったイエス様


イエス様も、神様でありながら、神としての権威を全部捨てて、人から裏切られ捨てられ、殺されるしもべの側になってくださった方です、そうやって弱い側、苦しむ人の立場になってくださった救い主です。


(ピリピ2.6-8)

6,キリストは、神の御姿であられるのに、神としてのあり方を捨てられないとは考えず、

7,ご自分を空しくして、しもべの姿をとり、人間と同じようになられました。人としての姿をもって現れ、

8,自らを低くして、死にまで、それも十字架の死にまで従われました。


僕らの苦しみと同じ気持ちになるために、弱い肉体をもち、悪魔からも攻撃され、それで僕らを理解し救ってくださるのがイエス様です。


(ヘブル人への手紙4章15節)

私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯しませんでしたが、すべての点において、私たちと同じように試みにあわれたのです。


僕らは苦しみたくは無いけども、でも苦しみを通ってはじめて、その立場を少しだけ理解できます。

やがて、地上の人生を終えて神様のもとに行く時に、誰が神様から褒められているかを見て驚きます。活躍していた牧師ではなく、有名な伝道者でもありません。なんと、弱くて苦しむ小さな人と生活し、彼らを愛し仕えている人が神様に誉められています。



(マタイ25章40節)

すると、王は彼らに答えます。『まことに、あなたがたに言います。あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、それも最も小さい者たちの一人にしたことは、わたしにしたのです。』


一番小さくて弱い人たちにしたことは、「わたしにしたのです」と言われています。


●敵を愛するイエス様


さらに23章になると、あなたの敵であっても助けなさいと神様がおっしゃいます。


(23章4節-5節)

4,あなたの敵の牛やろばが迷っているのに出会った場合、あなたは必ずそれを彼のところに連れ戻さなければならない。

5,あなたを憎んでいる者のろばが、重い荷の下敷きになっているのを見た場合、それを見過ごしにせず、必ず彼と一緒に起こしてやらなければならない。



相手は自分のこと憎んでいる人です。でも必ず彼と一緒に敵と一緒に助けなさいといいます。

まさにイエス様の姿であり、イエス様の教えそのものです。

イエス様がこの地上に来てくださった理由は、神様の敵であった私を救うため、罪人の私を愛するためでした。そして、神様の怒りと呪いを引き受けて、身代わりになって十字架で殺されるためでした。


僕が呪われないように、神の怒りに会わないように、イエス様が身代わりに傷つき捨てられ、嫌われ殺されました。

だから、同じように、あなたも敵を助けなさい、と言います。

敵を助けなさい、あなたを憎んでいるものの、ロバが荷物の下敷きになっていたら、見過ごさないで必ず起こしてあげなさい、です。


これはイエス様がそういう方だからです。イエスキリストを信じることは、イエス様の新しい心を受けることです。

弱いものの味方となり、敵を愛するイエス様につながったことです。

僕らにはできません。でもイエス様の御霊が私の中におられます。この体と心はもうイエス様のものとなりました。

神様の愛は自分を捨てること、失うことです。

イエス様を信じることは、十字架でイエス様と一緒に死ぬことです。


僕らのほんわかした愛のイメージと、神様が与えてくださる愛は全然違います。

神様の愛はキュンとか、いい感じになることではなく、自分を苦しめる人、自分に反対する人、自分を憎む人、自分の敵のために自分を捨て、与えるものです。この愛は人間からは出ないものです。

人間が思う愛と神様から与えられる聖霊の愛は全然違います。


人間が思う愛は自分の気に入った人だけを愛し、自分の気に入る環境を求めます。それ以外のものに対しては無関心になるか嫌うかです。

ところが自分を愛してくれる者を愛しても神様の前では何の価値もない、とイエス様は言われます。(マタイ5.46)「自分を愛してくれる者を愛したからといって、何の報いが受けられるでしょう。」それらは神様から出たものではなく肉の行いです。


「気が合うから、楽しいから、喜びを与えてくれるから愛する」「自分を支えてくれるから愛する」どれもイイ話です。ホッとすることも、楽しむことも、応援されることも神様からのプレゼントです。…ですが、自分の思い通りにならない終わってしまうような、儚くて脆い愛です。

ところが神様から与えられる愛は違います。敵を愛し、そのために自分を失っていく愛は、僕らからは出ない御霊の愛です。


あり得ない愛が与えられています。終わることのない愛が与えられています。そして僕らもそれを行動で表すことができます。自分はできないけど、神様がそうなさいます。愛することは自分を捨てることです。自分を捨てるだけでなく、イエス様の御霊に満たされることです。愛することは自分の利益を求めず、他人の悪を心に留めないことです。神様の愛は与えることです。忍耐することです。裁かず、赦すことです。(1コリント13.4-7)神様は愛です。今日、僕らが神様に心も体も明け渡し、神様の愛を現す器とされますように。


イエス様を求めましょう。イエス様にこの体も心も明け渡しましょう。


1 自分がどんな人間だったか、イエス様はそんな自分にどう接してくださったか思い返してみましょう。

2 苦しみの中にある人たちに対する自分の態度とイエス様の態度の違いを考えてみましょう。

3 敵に対する自分の態度とイエス様の態度の違いを考えてみましょう。




2024年5月1日水曜日

出エジプト20.1-17

 出エジプト20.1-17


イスラエル人たちが奴隷状態から救われたのは100%神様の力です。100%神様の愛です。神様100%神様の計画です。彼らの知恵とか力にはよりません。そもそも人間が存在するのも100%神様によります。「光あれ」とおっしゃると光ができる神様です。同じように、子どものいないアブラハムに、しかも100歳になったアブラハムにあなたの子孫は海の砂のようになると言われた通りになりました。イスラエルの存在も、僕らの存在も全部神様から発しています。神様は作られたイスラエルに、そして僕らにも完璧で良いご計画をなし、必要なものは全て与え続けてくださいます。


神様はまず宣言されます。「わたしは、あなたをエジプトの地、奴隷の家から導き出したあなたの神、主である。」(2)すぐによそ見をする人間にまず確認です。他にはあなたを救ったり、導いたり、良いものを与え続ける神はいません。そう宣言し、それは何度も繰り返されます。



(1節から6節)

2,「わたしは、あなたをエジプトの地、奴隷の家から導き出したあなたの神、主である。

3,あなたには、わたし以外に、ほかの神があってはならない。

4,あなたは自分のために偶像を造ってはならない。上の天にあるものでも、下の地にあるものでも、地の下の水の中にあるものでも、いかなる形をも造ってはならない。

5,それらを拝んではならない。それらに仕えてはならない。あなたの神、主であるわたしは、ねたみの神。わたしを憎む者には父の咎を子に報い、三代、四代にまで及ぼし、

6,わたしを愛し、わたしの命令を守る者には、恵みを千代にまで施すからである。



僕ら人間はすぐに神様を忘れて自分の力と自分の知恵を求めます。自分の力でなくても、神様以外で救われる方法とか、自分を満たし幸せにする何かをいつも探しがちです。ある人はお金、ある人は宗教とか人が作った教え、自分を救い満たしてくれそうなものに僕らは時間とお金を捧げがちです。

神様は「ねたみの神様」です。(5)カップルでも結婚でも本命のほかに誰かを求めキープしようとする人がいます。そっちで(も)満たされ幸せになろうと言う二心です。それは相手に対する侮辱です。それは他人の妻や夫を欲しがり、盗み、偽る罪です。(14-17)

同じように、神様の愛と力を知りながら、神様以外で幸せになろうと求めキープするのは神様に対する侮辱です。神様は「ねたみの神様」です。


愛と力をそして救いを与える神様は唯一です。神様以外で幸せになろうとか満足しようとする傲慢に対して、まず神様は「自分のために偶像を作ってはならない」(4節)とおっしゃいます。


口だけで一応お祈りするけど実際は他の方法に頼っていたり、一応集まって礼拝するけど、実際はお金と欲望に仕えているなど、形だけ口だけの信仰はあり得ます。神様はそれを悲しみ、怒る方です。



(7節)

あなたは、あなたの神、主の名をみだりに口にしてはならない。主は、主の名をみだりに口にする者を罰せずにはおかない。



すべての教えは、神様に本気ですか?と言う問いかけです。イスラエルは何も持たない最悪な奴隷でした。何もなかったはずが、今は全てが神様に与えられていることを本当に覚えていますか?信じますか?と言う問いかけです。


全てが神様から与えられるなら週に1日は完全に仕事休むことができます。なぜなら、仕事やお金が自分を養っているのではないからです。神様は必要なものを与えてくださっています。



(8節から11節)

8,安息日を覚えて、これを聖なるものとせよ。

9,六日間働いて、あなたのすべての仕事をせよ。

10,七日目は、あなたの神、主の安息である。あなたはいかなる仕事もしてはならない。あなたも、あなたの息子や娘も、それにあなたの男奴隷や女奴隷、家畜、またあなたの町囲みの中にいる寄留者も。

11,それは主が六日間で、天と地と海、またそれらの中のすべてのものを造り、七日目に休んだからである。それゆえ、主は安息日を祝福し、これを聖なるものとした。



自分の存在が神様から出ていると本気で信じるならば、神様が自分がこの世に生まれるために用いてくださった父と母を大事にします。神様がお作りになった父と母だからです。



(12節)

あなたの父と母を敬え。あなたの神、主が与えようとしているその土地で、あなたの日々が長く続くようにするためである。



神様が自分を作り、隣人も作り愛し救い養っておられることをがわかるなら、僕らは隣人を傷つけたり殺すことしないし、他人の妻や夫を盗もうとも思いません。隣人を苦しめる偽証や悪意のうわさをすることもありません。神様が作り、愛し、救った大事な人だからです。



(14節から17節)

13,殺してはならない。

14,姦淫してはならない。

15,盗んではならない。

16,あなたの隣人について、偽りの証言をしてはならない。

17,あなたの隣人の家を欲してはならない。あなたの隣人の妻、男奴隷、女奴隷、牛、ろば、すべてあなたの隣人のものを欲してはならない。」



すべて100%神様からだと信じますか?と僕らに問われています。他に保険をかける必要はありません。カタチだけとか一部分ではなく、全部神様に信頼して歩みましょう。神様は絶対に見放すことも見捨てることもありません。今日も全体重を預けましょう。大丈夫です。ハレルヤ!



出エジプト19章

 出エジプト19章


僕らが神様に近づいても安心していられるのは特別な恵みです。聖なる神様は罪がある人間と交わることができないし、神様に近づくだけで人は殺されてしまいます。神様は聖なる恐るべき方です。

イスラエルの人々の前に神様が現れたとき、人々は「みな震え上がった」(16)とあります。地震と雷と炎があり、近づく者は必ず殺されてしまうからです。



(10-13)

10,主はモーセに言われた。「あなたは民のところに行き、今日と明日、彼らを聖別し、自分たちの衣服を洗わせよ。

11,彼らに三日目のために準備させよ。三日目に、主が民全体の目の前でシナイ山に降りて行くからである。

12,あなたは民のために周囲に境を設けて言え。『山に登り、その境界に触れないように注意せよ。山に触れる者は、だれでも必ず殺されなければならない。

13,その人に手を触れてはならない。その人は必ず石で打ち殺されるか、矢で殺されなければならない。獣でも人でも、生かしておいてはならない。』雄羊の角が長く鳴り響くときは、彼らは山に登ることができる。」



(16-18)

16,三日目の朝、雷鳴と稲妻と厚い雲が山の上にあって、角笛の音が非常に高く鳴り響いたので、宿営の中の民はみな震え上がった。

17,モーセは、神に会わせようと、民を宿営から連れ出した。彼らは山のふもとに立った。

18,シナイ山は全山が煙っていた。主が火の中にあって、山の上に降りて来られたからである。煙は、かまどの煙のように立ち上り、山全体が激しく震えた。



今、僕らが神様と一緒にいることに安心と喜びがあるのは特別な恵みです。モーセでさえ、「私は恐れて、震える。」と言いました。(ヘブル12.21)神様は何度も罪人が死なないように、安易に近づかなように警告していました。



(21-23)

21,主はモーセに言われた。「下って行って、民に警告せよ。彼らが見ようとして主の方に押し破って来て、多くの者が滅びることのないように。

22,主に近づく祭司たちも自分自身を聖別しなければならない。主が彼らに怒りを発することのないように。」

23,モーセは主に言った。「民はシナイ山に登ることができません。あなたご自身が私たちに警告して、『山の周りに境を設け、それを聖なるものとせよ』と言われたからです。」



今、僕らが聖なる神様と交わることができるのは、僕らも聖なるものとされたからです。聖なる人は神様と交わることができます。



(5-6)

今、もしあなたがたが確かにわたしの声に聞き従い、わたしの契約を守るなら、あなたがたはあらゆる民族の中にあって、わたしの宝となる。全世界はわたしのものであるから。

あなたがたは、わたしにとって祭司の王国、聖なる国民となる。』これが、イスラエルの子らにあなたが語るべきことばである。」



僕らは神様の声に完璧に聞き従うことがでないにもかかわらず、それでも「祭司の王国、聖なる国民」「わたしの宝」と呼んでくださっています。(1ペテロ2:9)イエス様が僕らの罪を完全に聖めてくださって今はあわれみを受けた者」です。(1ペテロ2.10)僕らは完璧に洗われ、義とされ、聖なるものとされ、神様と交わる神の子、しかも宝の民と呼ばれています。

「御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます。」(1ヨハネ1.7)「私たちは、イエスの血によって、大胆にまことの聖所にはいることができるのです。」(ヘブル10.19)安心して神様の近くに行けるのは特別な恵みです。そこにはイエス様の流された血の犠牲があります。もう恐れる必要はありません。神様に滅ぼす権威があります。汚れた人は一瞬で殺されてしまいます。だのに、神様が僕らを受け入れてくださっています。感謝しましょう。全てが恵みです。ハレルヤ!