2022年12月13日火曜日

エゼキエル16.59-63

エゼキエル16.59-63 罪に対して徹底的に復讐する神様が、僕らを赦し、「彼らの罪を思い起こさない」(ヘブル8.12)と言われることは驚きです。 どっち?と思います。復讐と怒りの神様か?赦しの神様か?です。答えは両方です。 神様の赦しを体験する時、僕らは戸惑い、自分が今まで高ぶってきたことを恥ずかしく思います。 復讐の神が十字架の上でさらし者になっている姿を知るときに、僕らは自分を恥じ、何も言えなくなります。 神様を裏切ったのはイスラエルです。裁かれて当然です。だのに、神様は彼らを見捨てず、赦し、「契約を新たにする」と言われました。(62)彼らは赦されたときに自分の罪の大きさを知り、恥じて悔い改めます。神様の赦しと人の悔い改めはセットです。 (62-63) わたしがあなたとの契約を新たにするとき、あなたは、わたしが主であることを知る。こうして、わたしが、あなたの行ったすべてのことについてあなたを赦すとき、あなたはそれらを思い出して恥を見、もう自分の恥辱のために口を開くことはない──神である主のことば。』」 高ぶって淫らなことをし、他人の悪口を言っていたイスラエルは神様から苦しめられます。それが罪の報いでした。 (57-59) 今はアラムの娘たちや、その周りのすべての者、およびペリシテ人の娘たちのそしりの的となっている。彼女たちはあなたを四方から侮っている。あなたは、自分の淫らな行いと忌み嫌うべきわざの報いを受けている──主のことば。まことに、神である主はこう言われる。わたしは、あなたがしたとおりのことをあなたに返す。あなたは誓いを蔑んで、契約を破ったのだ。 自分たちだけが神様に選ばれた民であり、それ以外の人たち(異邦人たち)は見捨てられた人たちだと思い高ぶり、見下していました。ところが、神様は異邦人たちも(もちろん日本人も)赦し、受け入れてくださいます。これが神様が与えてくださる新しい契約です。自分がバカにし見下していた人たちが神様に赦され、受け入れられるのを見たときに、イスラエル人たちは自分の高ぶった生き方を恥ずかしく思います。 (61) わたしがあなたの姉と妹を選び取って、あなたとの契約には含まれていないものの、わたしが彼女たちをあなたの娘としてあなたに与えるとき、あなたは自分の生き方を思い出し、恥じることになる。 神様の愛に触れるとき、僕らは自分が今まで高ぶって罪を犯してきたことを思い出します。光によってヨゴレがわかるのと同じです。放蕩息子は、お父さんが駆け寄って来て抱きしめてくれ、口づけをしてくれたときに自分の罪を恥ずかしく思い「おとうさん。私は天に対して罪を犯し、またあなたの前に罪を犯しました。」と言いました。(ルカ15.21) 神様の愛と恵みと僕らの悔い改めは分けることはできません。罪を認めることは恥と悲しみをもたらすので、僕らはごまかし、それを見ないようにしがちです。でも、神様の恵と愛は僕らの罪を認めさせ、悔い改めさせてくれます。 イエス様は今日もあなたの罪を思い出すことはしない、と言ってくださっています。 罪はあります。それを認めて謝りましょう。同時に、もう自分を責める必要はありません。僕らの口は自分を責めてクヨクヨするのではなく、赦してくださった神様を賛美し感謝するために与えられたものです。 (63) こうして、わたしが、あなたの行ったすべてのことについてあなたを赦すとき、あなたはそれらを思い出して恥を見、もう自分の恥辱のために口を開くことはない──神である主のことば。』」 今日も感謝しましょう。赦された一つ一つを思い出して感謝しましょう。新しい契約は赦しの契約です。ハレルヤ! (ヘブル8.10-12) それらの日の後、わたしが、イスラエルの家と結ぶ契約は、これであると、主が言われる。わたしは、わたしの律法を彼らの思いの中に入れ、彼らの心に書きつける。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。 また彼らが、おのおのその町の者に、また、おのおのその兄弟に教えて、『主を知れ。』と言うことは決してない。小さい者から大きい者に至るまで、彼らはみな、わたしを知るようになるからである。 なぜなら、わたしは彼らの不義にあわれみをかけ、もはや、彼らの罪を思い出さないからである。」

0 件のコメント:

コメントを投稿