2022年12月19日月曜日
哀歌3.40-60
苦しい時、悲しい時、正直に心を神様に注ぎ出すようにと聖書は教えます。この当時、祈りは両手を天に伸ばしてするのが一般的でした。
(40-41)
自分たちの道を尋ね調べて、主のみもとに立ち返ろう。
自分たちの心を、両手とともに、天におられる神に向けて上げよう。
正直になって罪を認め、祈りの中でちゃんと言おう、と勧めます。
当時、エルサレムが滅ぼされたのは神様に背き続けて来たことが原因でした。作者はそれを認めて正直に神様に言います。
(42-45)
「私たちは背き、逆らいました。あなたは赦してくださいませんでした。
あなたは、怒りを身にまとい、私たちを追い、容赦なく殺されました。
あなたは雲を身にまとい、私たちの祈りをさえぎり、
私たちを諸国の民の間で、ごみ屑とされました。」
僕らが自分の罪を認め、悲しむなら、神様は必ず答えてくださいます。
しかも「恐れるな」と言ってくださり、僕らをもう一度絶望から救い出してくださいます。
(55-58)
「主よ、私は御名を呼びました。穴の深みから。
あなたは私の声を聞かれました。私のうめき声に、私の叫びに、耳を閉ざさないでください。私があなたを呼び求めると、あなたは近づき、『恐れるな』と言われました。主よ。あなたは私のたましいの訴えを取り上げ、私のいのちを贖ってくださいました。
苦しみは、僕らが正直になって罪を認め祈るためのものです。
落ち着いて自分の心の中にあるものを考えてみましょう。
高ぶりやごまかしはどんな小さなものでもちゃんと神様に言って謝りましょう。
神様は答えてくださいます。イエス様は十字架でその罪を背負い、「恐れるな」と今日も行ってくださいます。大切なことは、正直に自分の罪を認めて祈ることです。
(31-33)
主は、いつまでも見放してはおられない。
主は、たとえ悲しみを与えたとしても、その豊かな恵みによって、人をあわれまれる。
主が人の子らを、意味もなく、苦しめ悩ませることはない。
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