2024年9月30日月曜日

イザヤ18章

 イザヤ18章


看板屋の友達が言っていました。どんなにかっこいいデザイン看板を作っても、何年かすれば汚くて薄汚れた粗大ゴミになる、と。「いらないから撤去して」と言われるたびに虚しくなるそうです。素敵な新築の家も素敵な服も同じです。いつかボロボロの家や服になってしまいます。

同じように、どんなに強い国も、他国を踏みにじる恐れられている国であっても、神様の前では虚しいゴミになってしまいます。


預言者イザヤは、悪人たちの最期がどうなるのかを示しています。彼らは自分たちは高い地位にあって危険から免れていると思い込み、他国を見下す振る舞いをします。でも彼らの終わりは、動物の巣や餌にされるほどに落ちぶれます。



(イザヤ書 18章1~2節)

ああ、羽コオロギの国よ。この国はクシュの幾多の川のかなたにあり、

パピルスの船を水に浮かべて、海路で使いを送る。すばやい使者よ、行け。背が高く肌の滑らかな国民のところへ。あちこちで恐れられている民のところへ。その国土を多くの川が分けている、力強い、踏みにじる国へ。



今も昔も、自分の国の安全のためには強い国と同盟を結び救われようとします。イザヤの時代も同じでした。そんな人間たちを神様は静観しておられます。そして、最終的には、それらの強さをむなしいものとして捨て去ります。



(イザヤ書 18章3~6節)

世界のすべての住民よ。地に住むすべての者よ。山々に旗が揚がるときは見よ。角笛が吹き鳴らされるときは聞け。

主が私にこう言われたからだ。「わたしは静まり、わたしのところから眺める。照りつける日差しの暑さのように、刈り入れの暑さの中の、露をもたらす雲のように。」

刈り入れの前、花が終わって、花房が熟したぶどうになるとき、人はその枝を鎌で切り、そのつるを取って除き去るからだ。

それらはみなともに、山々の猛禽や野獣のために投げ捨てられる。猛禽はその上で夏を過ごし、野獣はみな、その上で冬を過ごす。



今、僕らも世界の戦争の噂を聞いて恐れています。やがて日本も巻き込まれる日が来るかもしれません。どんなに強い国に翻弄されたとしても、僕らがすべきことは、ただ神様に信頼して待ち望むことです

神様は黙って眺めているかのように見えますが、時が来ると必ず正しい裁きをなさいます。



(哀歌 3章26~33節)

主の救いを静まって待ち望むのは良い。

人が、若いときに、くびきを負うのは良い。

それを負わされたなら、ひとり静まって座っていよ。

口を土のちりにつけよ。もしかすると希望があるかもしれない。

自分を打つ者には頬を向け、十分に恥辱を受けよ。

主は、いつまでも見放してはおられない。

主は、たとえ悲しみを与えたとしても、その豊かな恵みによって、人をあわれまれる。

主が人の子らを、意味もなく、苦しめ悩ませることはない。



最後に残るのは、神様を恐れ、神様に感謝と賛美を捧げる人だけです。悪人たちが一時的に繁栄しても、最終的には全てが虚しくなり、滅ぼされます。今、神様を恐れず高ぶっている国も、その日には神様に感謝し賛美するようになります。なぜなら、それ以外の人も国も滅ぼし尽くされるからです。



イザヤ書 18章7節

そのとき、背が高く肌の滑らかな民、あちこちで恐れられている民、その国土を多くの川が分けている、力強い踏みにじる国民から、万軍の主の名のある場所、シオンの山へ、万軍の主のために贈り物が運ばれて来る。



神様はただ黙って見ているだけではありません。刈り入れの時が来ます。今日も神様に信頼して、希望を持って忍耐する日でありますように。



(ガラテヤ6章8-9節)

自分の肉に蒔く者は、肉から滅びを刈り取り、御霊に蒔く者は、御霊から永遠のいのちを刈り取るのです。失望せずに善を行いましょう。あきらめずに続ければ、時が来て刈り取ることになります。





2024年9月28日土曜日

イザヤ13章

 イザヤ13章


初めて聖書を読んだころ、ふわっとした神様のイメージが変わっていったのを覚えています。

神様が国を滅ぼし尽くすところがたくさんあって「神様って怖い」って思いました。神様が聖書を通して僕らに伝えていることは、優しいだけのユルい神様ではなく、リアルに世界を裁く神様です。だから「たましいもからだも、ともにゲヘナで滅ぼすことのできる方を恐れなさい。」(マタイ10.28)というのがイエス様からのメッセージです。


人が人を殺してはならないと神様は言われます。(出エジプト20.13、創世記9.6など多数)人を裁き、殺す権威があるのはは神様だけです。人の怒りや裁きは正しくないし、先走った裁きをしてはならない、と言われています。(1コリント4.5、ヤコブ1.20)でも、神様だけは正しく罪と悪に対して復讐し、滅ぼす神様です。人間同士の愚かな戦争さえ用いて歴史を動かし、神様の正しい裁きをなさいます。神様が戦争を通して国を滅ぼすことはありますが、だからといって戦争に勝った国が正しかったとはいえません。


バビロンという国はメディア人たちに滅ぼされました。それは神様の裁きでした。「万軍の主が軍隊を召集しておられる」(4)「全世界を滅ぼすための、主とその憤りの器」(5)「それは全能者からの破壊としてやって来る」(6)バビロンが滅ぼされたのは歴史上の事実です。同時に「バビロン」は、黙示録では神様に敵対する存在のことを言っています。彼らは滅亡します。イザヤの預言はその時代に実現した預言でもあり、同時に将来イエス様が完全にこの世界を滅ぼす、という未来の預言です。やがてイエス様によって全ての悪は滅ぼされます



(イザヤ書 13章11節)

わたしは、世界をその悪のゆえに罰し、悪しき者をその咎のゆえに罰する。不遜な者の誇りをくじき、横暴な者の高ぶりを低くする。



(4-9節)

4,おびただしい民にも似た、山々のとどろく音、集まって来る国々、王国のどよめく音がする。万軍の主が軍隊を召集しておられるのだ。

5,彼らは遠い地から、天の果てからやって来る。全世界を滅ぼすための、主とその憤りの器だ。

6,泣き叫べ。主の日は近い。それは全能者からの破壊としてやって来る。

7,それゆえ、すべての者は気力を失い、すべての人の心は萎える。

8,彼らはおじ惑い、子を産む女が身もだえするように、苦しみと激しい痛みが彼らを襲う。彼らは炎のような顔で互いに驚く。

9,「見よ、主の日が来る。憤りと燃える怒りの、残酷な日が。地は荒廃に帰し、主は罪人どもをそこから根絶やしにする。



メディア軍はバビロンの人びとを殺し、子どもも若者も胎児もあわれまずに徹底的に皆殺しにしました。しかも、それをさせたのは神様だと聖書は言います。



(17-19)

17,見よ、わたしは彼らに対してメディア人を奮い立たせる。彼らは銀をものともせず、金さえ喜ばず、

18,その弓は若者たちを撃ち倒す。彼らは胎の実さえあわれまず、子どもたちにさえあわれみをかけない。

19,こうして、諸王国の誉れ、カルデア人の輝かしい誇りであるバビロンは、神がソドム、ゴモラを滅ぼしたときのようになる。



子どもたちも赤ちゃんも皆殺しにされるのをを読んで、神様、赦してくれないんですか、と言いたくなる箇所です。聖書の答えは、この世界の作者である神様だけがこの世界を破壊することができることです。陶器師は気に入らない器を壊し、作り替えることができます。(エレミヤ18.4)罪と暴虐と淫行に満ちた世界は神様にとっては破棄すべき器です。ソドム、ゴモラとは、好色と肉欲にふけった町です。彼らは神様に滅ぼされました。(ユダ1.7)それと同じように、「バビロンは、神がソドム、ゴモラを滅ぼしたときのようになる。」とあります(19)この箇所はバビロンが滅ぼされる預言でありながら、全世界を裁く僕らの時代への神様からの警告でもあります。


(6-11)

6,泣き叫べ。主の日は近い。それは全能者からの破壊としてやって来る。

7,それゆえ、すべての者は気力を失い、すべての人の心は萎える。

8,彼らはおじ惑い、子を産む女が身もだえするように、苦しみと激しい痛みが彼らを襲う。彼らは炎のような顔で互いに驚く。

9,「見よ、主の日が来る。憤りと燃える怒りの、残酷な日が。地は荒廃に帰し、主は罪人どもをそこから根絶やしにする。

10,天の星、天のオリオン座はその光を放たず、太陽は日の出から暗く、月もその光を放たない。

11,わたしは、世界をその悪のゆえに罰し、悪しき者をその咎のゆえに罰する。不遜な者の誇りをくじき、横暴な者の高ぶりを低くする。



この世の終わりには太陽も月も消えていくようです。イエス様はこのイザヤの預言を念頭に置きつつ、世の終わりについて「その日には、その苦難に続いて、太陽は暗くなり、月は光を放たず、星は天から落ち、天の万象は揺り動かされます。」とおっしゃいます。(マルコ13.24-26)

この世界で儲かっても、豪華な家や町を建てても、神様の前に裁かれるならその廃墟は惨めなだけです。「人は、たとい全世界を手に入れても、まことのいのちを損じたら、何の得がありましょう。」(マタイ16.26)



(19-22)

19,こうして、諸王国の誉れ、カルデア人の輝かしい誇りであるバビロンは、神がソドム、ゴモラを滅ぼしたときのようになる。

20,そこには永久に住む者もなく、代々にわたり、住みつく者もない。アラビア人もそこには天幕を張らず、牧者たちもそこに群れを伏させない。

21,そこには荒野の獣が伏し、彼らの家々には、みみずくがあふれる。そこには、だちょうも住み、雄やぎがそこで飛び跳ねる。

22,山犬はその砦で、ジャッカルは豪華な宮殿でほえ交わす。その時が来るのは近く、その日はもう延ばされることはない。」



神様の裁きを受けて滅ぼされた相手は2つです。

一つは神様を恐れず従わず信じない世界。そしてもう一つはイエス様です。


神様は怒りを受けて捨てられ殺される代表として、イエス様をこの世に遣わされました。イエス様は神様からの怒りを受け、神に捨てられ殺されました。イエス様を信じてつながることは、一緒に神様の怒りを受け、完全に殺され、捨てられたと見なされることです。それを表すのがバプテスマです。僕は神様の怒りを受け捨てられたイエス様と一つになった、という意味です。そして、復活して生きておられる聖なる聖なる聖なるイエス様と一つになった、という意味です。

神様の願いは僕らが救われることです。



(テサロニケ人への手紙第一 5章9節)

神は、私たちが御怒りを受けるようにではなく、主イエス・キリストによる救いを得るように定めてくださったからです。


主の怒りと裁きはあります。

でも、救いもあります。

神様は忍耐して待っておられます。


(2ペテロ3:9

主は、ある人たちがおそいと思っているように、その約束のことを遅らせておられるのではありません。かえって、あなたがたに対して忍耐深くあられるのであって、ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。




2024年9月25日水曜日

イザヤ12章

 イザヤ12章


小学校の時にみんなで踊ったフォークダンス「マイムマイム」はイザヤ書12章3節から作られた曲です。マイム=水、ベッサンソン=喜びながら、です。あの曲は「水、水、水、水、水、喜びながら!」です。



(イザヤ書 12章3節)

あなたがたは喜びながら水を汲む。救いの泉から。



この喜びの水は単なる水ではなく「救いの泉」です。イエス様はこのことを「聖書が言っているとおり」とおっしゃって、この水を飲む人は完全に満たされ、喜び、賛美することを説明してくださいました。この水を飲むことはイエス様を信じることです。そして、この水とは御霊です。



(ヨハネ4.14)

しかし、わたしが与える水を飲む人は、いつまでも決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人の内で泉となり、永遠のいのちへの水が湧き出ます。」



(ヨハネ7.37-39)

37さて、祭りの終わりの大いなる日に、イエスは立ち上がり、大きな声で言われた。「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。

38わたしを信じる者は、聖書が言っているとおり、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになります。」

39イエスは、ご自分を信じる者が受けることになる御霊について、こう言われたのである。



飲む人は感謝に満たされます。すべてのものが過ぎ去ります。(2コリント5.17)今まで裁かれ苦しんでいたことはすっかり忘れ去られて行きます。



(1-3)

1,その日、あなたは言う。「主よ、感謝します。あなたは私に怒られたのに、あなたの怒りは去り、私を慰めてくださったからです。」

2,見よ、神は私の救い。私は信頼して恐れない。ヤハ、主は私の力、私のほめ歌。私のために救いとなられた。

3,あなたがたは喜びながら水を汲む。救いの泉から。



御霊の水を飲む人は必ず感謝と賛美をする人になります。必ずです。「その日、あなたは(感謝や賛美を)言う」と聖書は断言しています。(1節、4節)やがてイエス様が地上に来られた時、世界が御霊に満たされる日が来ます。その日は多くの人たちが感謝し賛美します。僕らは先にこの御霊を与えられ、喜びと救いを世界中に歌いながら伝える人です。



(4-6)

4,その日、あなたがたは言う。「主に感謝せよ。その御名を呼び求めよ。そのみわざを、もろもろの民の中に知らせよ。御名があがめられていることを語り告げよ。

5,主をほめ歌え。主はすばらしいことをされた。これを全地に知らせよ。

6,シオンに住む者よ。大声をあげて喜び歌え。イスラエルの聖なる方は、あなたの中におられる大いなる方。」



世界中が主の霊に満たされる日は、人間だけでなくなんと自然界全部が生き返る日です。この泉から流れ出る川に触れるものは全てが癒されていきます。



(エゼキエル47.9-12)

9この川が流れて行くどこででも、そこに群がるあらゆる生物は生き、非常に多くの魚がいるようになる。この水が入ると、そこの水が良くなるからである。この川が入るところでは、すべてのものが生きる。(…中略…)

12川のほとりには、こちら側にもあちら側にも、あらゆる果樹が生長し、その葉も枯れず、実も絶えることがなく、毎月、新しい実をつける。その水が聖所から流れ出ているからである。その実は食物となり、その葉は薬となる。」



今クリスチャンたちは先にそれを体験しています。僕らから出るはずのない喜びや感謝が聖霊によって与えられています。聖霊によらなければ、誰もイエス様を告白することができません。しかし、その方が来ると僕らは力を受け、地の果てまで喜んでこの救いを告げ知らせます。(使徒1.8)今日、悲しいことがあっても大丈夫です。悲しいことを反芻するよりも、この水を求めましょう。御霊を求めましょう。御霊によらなければ喜びも感謝もありません。「その日、あなたは言う」と聖書は断言しています。喜びながら水を汲む日はもう来ています。そして、世界中が満たされる日が来ます。この喜びを今から世界に伝えましょう。ハレルヤ!



イザヤ11章

 イザヤ11章


僕らが人を攻撃する理由は、不安だから、不満だから、安全ではないからです。恐れのない人は人を攻撃する必要がありません。平和な人は神様から人からも愛され、認められ、受け入れられている人です。その人には感謝があり喜があります。



(1ヨハネ4.18)

愛には恐れがありません。全き愛は恐れを締め出します。



今日の箇所は将来の預言です。10章まで壊れていく世界と神様の裁きの預言が続きます。が、この11章と12章だけ、将来、イエス様が世界の王となった時の喜びを見せてくださっています。



(12.1)

その日、あなたは言う。「主よ、感謝します。あなたは私に怒られたのに、あなたの怒りは去り、私を慰めてくださったからです。」



やがて、「主を知ることが、海をおおう水のように地に満ちる」日が来ます。(9)その日には、なんと動物たち同士でさえ外敵を警戒する必要がなくなり平和が来ます。主がもう一度来られたときの世界は完璧です。



(イザヤ書 11章6~9節)

狼は子羊とともに宿り、豹は子やぎとともに伏し、子牛、若獅子、肥えた家畜がともにいて、小さな子どもがこれを追って行く。雌牛と熊は草をはみ、その子たちはともに伏し、獅子も牛のように藁を食う。

乳飲み子はコブラの穴の上で戯れ、乳離れした子は、まむしの巣に手を伸ばす。

わたしの聖なる山のどこにおいても、これらは害を加えず、滅ぼさない。主を知ることが、海をおおう水のように地に満ちるからである。



神様と一緒にいて愛されているので、その日には互いに攻撃することも妬みも必要なくなります。



(イザヤ書 11章13節)

エフライムのねたみは去り、ユダに敵する者は断ち切られる。エフライムはユダをねたまず、ユダもエフライムを敵としない。



この神の世界が僕らの中にもう始まっています。それは神様に愛されていることを認め、神様に喜んで聞き従う世界です。イエス様は「時が満ち、神の国は近くなった。悔い改めて福音を信じなさい。」とおっしゃいます。(マルコ1.15)不安だから戦うのでなく、神様によって満たされる方向に変えなさい、と言うことです。その時に妬みは消え去ります。


イエス様はもう一度この地上に来られます。世界はイエス様の王国となります。戦争はなくなり、人々はイエス様の知恵と力を求めてやってきます。



(イザヤ書 11章10節)

その日になると、エッサイの根はもろもろの民の旗として立ち、国々は彼を求め、彼のとどまるところは栄光に輝く。



世界中の人たちがイエス様のみことばを求めてやって来る様子はイザヤ2章にも書かれています。


(イザヤ書 2章2~3節)

終わりの日に、主の家の山は山々の頂に堅く立ち、もろもろの丘より高くそびえ立つ。そこにすべての国々が流れて来る。

多くの民族が来て言う。「さあ、主の山、ヤコブの神の家に上ろう。主はご自分の道を私たちに教えてくださる。私たちはその道筋を進もう。」それは、シオンからみおしえが、エルサレムから主のことばが出るからだ。



今までは自分たちの判断、自分たちの善悪の知識で争っていました。でもやがて神様を知ることが世界を満たします。もう国が争う必要がありません。このように、この世界がますます壊れて暗くなったとしても、その先に希望と回復があります。それをすでに体験し始めているのがクリスチャンです。

妬みは消え去り、国は争わない世界が来ます。全ての国はイエス様の知恵の言葉を求めるようになります。

「主を知ることが、海をおおう水のように地に満ちる」(9)その日が来るのを希望を持って待ちしましょう。僕らが思う以上の完全な平和と喜びは約束されています。大丈夫です。ハレルヤ!