詩篇106篇
「この人は救いようがない。」「何回言っても変わらないし、もう無理。」「あの人にはもう関わりたくないし、もう関わらない。」そんなタイプの人っていると思います。聖書を読むと「選びの民イスラエル」はまさにそんな人たちです。
詩篇106篇はイスラエルの「救いようがないエピソード」を何度も並べます。
・すごい奇跡を体験してもすぐに忘れて逆らいます。(7節)
・海が分かれて、まるで荒野の道にように歩いて救われます。(9節)逆に敵は溺れて殺されます。(10-11節)…にもかかわらず、賛美したのはその時だけですぐに神様を忘れ疑います。(12-13節)
・荒野で欲望に負けて文句ばかり言います。(14節-15節)
・モーセを妬み、指導者になりたがり、ダタンと仲間は神様から殺されます。(16-18節)
・金の子牛を作って「神様だ」と言って礼拝します。(19節-22節)
・神様が与えてくださった土地をバカにします。(24-27節)
・偶像に自分を委ね、異国の女との性行為にふけります。(28節-29節)
・偶像礼拝にハマり、自分の赤ちゃんたちを殺して悪霊へのささげものにします。(34-39節
・何度も神様の怒りと裁きを体験しているのに何度も同じように逆らいます。(40-43節)
「もうアウトでしょう」といわれそうな人たちです。ところが聖書は「ひどかったね…」と伝えているのではなく、「これがあなたの姿だ」と言います。
"私たちは先祖と同じように罪を犯し不義を行い悪を行ってきました。"
詩篇 106篇6節
「もう関わらない」と思われてもおかしくないのに、「それでも」彼らが神様を求めるときに、何度もあわれみ、思い起こし、救ってくださいます。何度も裏切ったのに「それでも」です。侮辱したのに「それでも」です。
"それでも彼らの叫びを聞いたとき主は彼らの苦しみに目を留められた。
主は彼らのためにご自分の契約を思い起こし豊かな恵みにしたがって彼らをあわれまれた。
彼らを捕らえ移したすべての者たちから彼らがあわれまれるようにしてくださった。"
詩篇 106篇44~46節
神様のめぐみとあわれみは、僕らの考える範囲と全然違います。だから、誰も「めぐみの大きさはこの範囲」と言うことができません。
"ハレルヤ。主に感謝せよ。主はまことにいつくしみ深い。その恵みはとこしえまで。
だれが主の大能のわざを告げ主の誉れのすべてを語り聞かせることができよう。"
詩篇 106篇1~2節
僕らが思う「クリスチャンとはこういう人」とか、「ここまでだったらセーフ」とか、小さすぎます。「この人はもう無理」「何回言っても変わらない」と思っても、僕らの考えと神様のあわれみは全然違います。
誰もそれを説明することができません。大きすぎます。逆に僕らの神様イメージは小さすぎます。神様は僕らが考えるワクを遥かに超えています。あの「もう無理」な人は「僕らの姿」です。人の愚かさよりも、神様のめぐみとあわれみの方が遥かに大きいです。すごすぎてうまく説明できません。「だれが主の大能のわざを告げ主の誉れのすべてを語り聞かせることができよう。」(2)ただ、平伏して賛美しましょう。ハレルヤ!
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