2023年9月25日月曜日

不満から賛美に変えられる4ステップ

不満から賛美に変えられる4ステップ

 

I賛美できない私たちと、賛美と感謝に満ちた国

II天の礼拝に招かれるのはキリストの血による

III天の人らしく変わり続ける

IV昼も夜も賛美することがゴール


I賛美感謝できない僕らと、賛美と感謝に満ちた国


感謝できないのが僕らです。なんでもクレームをつけるのが人間です。コンビニで、温かい

飲み物と冷たい飲み物を同じ袋に入れただけで、不満。おはようって声かけたのに、こっち

向いてくれなかったのが不満です。聞こえてなかったのか、あえて無視されたのかわかりま

せん。気に入らないことや不安なこと不満なことが無限に出てくるのが罪のある人間の姿。

そのまま教会に集まると、賛美とか礼拝の中にも文句が出てきます。この曲は嫌いとか、ピ

アノの弾き方がうるさいとか、祈りが長すぎる、とか。説教が退屈だとか、どんなことでも

でも、文句になる。これが僕らの肉の姿、罪人の姿です。

この曲は言葉とメロがあってない、とか。人の目のちりはよく見える。でも、もっと大事な

感謝や賛美は出ない。これが肉の現実。

反対に、なんでも感謝できる世界があります。なんでも喜べる。欠点があってもゆるせる、

愛せる、そういう世界があります。これは神様のの御国です。神様の完璧なご支配、王国で

す。地上にはないけど、やがてもう一度イエス様が地上に来られ、全てを裁き、全ては新し

くされ、不安も不満も消え去る世界。


・もう始まっている御国 

先駆けとして、イエス様を信じた人たちには天の御国がすでにきている。イエス様は天の御

国はあなた方の中にあるのです、とおっしゃいました。

やがてイエス様が王としてご支配なさる時には賛美と感謝しかない。でも、今すでに、イエ

ス様を信じて、イエス様と一緒にいて、イエス様から与えられる御霊に満たされた人の姿で

もあります。天の御国の現れです。これはクリスチャンだけの特権です。ひどい状況なの

に、感謝が目に付いてしまう、欠点だらけなのに、良いところが目についてしまう、悪いこ

とされてもゆるそうと思います。なんででしょうか?それはイエス様の御霊が与えられ、こ

の体に住んでおられるからです。だから、自分もゆるされていることがわかります。相手も

赦され、愛されていることがわかります。そのように喜びや感謝をいつも発見してしまうの

は聖霊の働き。


天の国、神様の住まいには感謝と喜びしかありません。悲しみや怒りや叫びはありません。 地上にいながら、この天と交わってるのが僕らです。混ざってます。 こんなに文句ある状況なはずなのに、天と繋がってるからそれでも感謝し賛美します。 天にあるものをを思いなさい、それを求めなさい、というのがコロサイ3章1-2節です。 


3章 1,こういうわけで、あなたがたはキリストとともによみがえらされたのなら、上にあるもの を求めなさい。そこでは、キリストが神の右の座に着いておられます。 2,上にあるものを思いなさい。地にあるものを思ってはなりません。 

上にあるもの。それは感謝と喜びに満ちている世界です。

3,あなたがたはすでに死んでいて、あなたがたのいのちは、キリストとともに神のうちに隠 されているのです。 4,あなたがたのいのちであるキリストが現れると、そのときあなたがたも、キリストととも に栄光のうちに現れます。 


栄光の姿に変えられ、完全にきよくされた命は決定済みです。 それはまだ隠されています。神様の前で栄光のうちに完全にされた賛美を捧げる私たちとな ることは決まっている。
それはやがて、キリストが再臨されるときに現れる。 今、始まっているけども、未だ完成してない間にいます。 

見上げるのは天の礼拝、天におられるキリスト、そしてやがて完全にされる私たちの賛美。



II天の礼拝に招かれるのはキリストの血による


旧約聖書の時代は、神様ごめんなさい、と言って動物の捧げものを持って礼拝しました。そ

の動物の命を捧げ、神様に命を引き換えにゆるしをいただいていました。ささげものがなけ

れば神様に近づくことができませんでした。捧げものとは血です。イエス様はその屠られた

殺された子羊となって私たちの罪をゆるしきよめてくださいました。


ヘブル 10:19 こういうわけですから、兄弟たち。私たちは、イエスの血によっ て、大胆にまことの聖所にはいることができるのです。 



もうあなたはきよい、って言ってくださっています。汚れた服ではなく、イエス様の血によ って清められた新しい真っ白い服を着せられています。キリストを着たと聖書は言います。 



黙示録5章 



11,また私は見た。そして御座と生き物と長老たちの周りに、多くの御使いたちの声を聞い た。その数は万の数万倍、千の数千倍であった。 12,彼らは大声で言った。「屠られた子羊は、力と富と知恵と勢いと誉れと栄光と賛美を受 けるにふさわしい方です。」 



天国で賛美を受ける方は「屠られた子羊」です。殺された子羊。旧約聖書の時代、罪を犯し

た人の代わりに羊を殺して神様に許しを願っていました。礼拝する人は、目の前で羊が血を

流し、動かなくなって死んでいくのを見ました。この羊によって自分は赦された、と思いま

した。

そのように、殺される羊のように、苦しんで死んでいったのが、イエス様です。この羊によ

って、血を流して貼り付けになって死んでいくイエス様を見て、自分は赦された、と知りま

す。天国でも、賛美されているのは、素晴らしい無敵の主、ではなく、弱くて殺されたとみ

られる子羊、イエス様です。

このイエス様への感謝が、天でも捧げられています。天の礼拝ではイエス様!と言わず、い

つも子羊、しかも、屠られた子羊と言われてます。

汚れているのに、イエス様によってきよめられ、無罪と言われ、聖なるキリストという服を 着せられて、神様の前に出ることができています。もう新しくされています。 


コロサイ3章

9,あなたがたは古い人をその行いとともに脱ぎ捨てて、 10,新しい人を着たのです。新しい人は、それを造られた方のかたちにしたがって新しくさ れ続け、真の知識に至ります。 


III天の人らしく変わり続ける


臭くて汚い、世界に生きているけど、美しい服、キリストという新しい服を着ている。その

服は完璧で、新しくされ続けます。

しかも、内側まで美ししてくださる服で、心を変えてくれる服です。でも、僕らは行ったり

来たり葛藤する。


2,上にあるものを思いなさい。地にあるものを思ってはなりません。 では地にあるものって何でしょう。さっきも言ったけど、聖書はこう続きます。 

5,ですから、地にあるからだの部分、すなわち、淫らな行い、汚れ、情欲、悪い欲、そして 貪欲を殺してしまいなさい。貪欲は偶像礼拝です。 



・もう死んだと認めること


殺してしまいなさい、というけど、その前を読んだら、あなたはもう死んだ、と言います。


3,あなたがたはすでに死んでいて、あなたがたのいのちは、キリストとともに神のうちに隠 

されているのです。 


ローマ6.11 11,(キリストの死と復活と)同じように、あなたがたもキリスト・イエスにあって、自分 は罪に対して死んだ者であり、神に対して生きている者だと、認めなさい。 


コロサイ3章

8,しかし今は、これらすべてを、すなわち、怒り、憤り、悪意、ののしり、あなたがたの口 から出る恥ずべきことばを捨てなさい。
9,互いに偽りを言ってはいけません。 



・古いものを捨てるほどに輝きが見える!


これは着替えのようです。と聖書に書いてあります。

地上の服はきったない臭い服で、天の服は新しい美しい服のようです。地上にいながら天の

服を着たようです。もうすでに僕らは着替えました。

聖書はイエス様を信じた人は、もう新しい服を着た、着てる。と言います。

内側に新しい服をもう着ていて、じゃあ、今のこの悪口とか不満とかさばきとかは何?

新しい服をもう、内側に着ているのに、外側にきったない古い服を捨てないで、慣れている

から、上から着ているイメージで、それを捨てればいいだけ。それを脱げばいいだけ。古い

のを捨てれば捨てるほど、新しいものが見えてくる。


9,あなたがたは古い人をその行いとともに脱ぎ捨てて、 10,新しい人を着たのです。新しい人は、それを造られた方のかたちにしたがって新しくさ れ続け、真の知識に至ります。 

新しい人格、古くならない服のようです。もっと新しく、美しくなっていきます。「造られ

た方のかたちにしたがって新しくされ続け、真の知識に至ります。」


新しくされ続ける神さま方法があります。それは神様の言葉、キリストの言葉が自分の中に

住んで、キリストの言葉、キリストの心が自分の心、自分の考えとなっていくことです。捨

てると同時に、新しく美しく変えられ、神様に似ていく方法を神様は与えてくれました。そ

の方法。それは16節 


16,キリストのことばが、あなたがたのうちに豊かに住むようにしなさい。知恵を尽くして 互いに教え、忠告し合い、詩と賛美と霊の歌により、感謝をもって心から神に向かって歌い なさい。 


答えは、「詩と賛美と霊の歌により、感謝をもって心から神に向かって歌いなさい。」歌う

ことです。しかも、神さまが与えてくださった詩と賛美と霊の歌で、です。解釈は諸説あっ

て、詩篇、聖書の歌、御霊によって作られた新しい賛美ではないか、などなどいろんな解釈

があるんだけど、文脈から間違いないのは教会の歌によって歌によってキリストの言葉が住

み、歌によって、互いに教え合い、神様に向かって感謝することです。歌によって、教会全

体が新しい心に変えられ、神様の形に新しくされていきます。


新しくされるために、下のおまけ「赦しの祝福」をお勧めします。


IV昼も夜も賛美することがゴール


I歴代誌 9:33-34 

33,これらは歌い手で、レビ人の一族のかしらであり、各部屋にいて、ほかの務めを免れて いた。昼となく夜となく彼らはその務めに携わったからである。 


旧約聖書の時代の会見の天幕そこでの奉仕の仕方が書かれています。

そこで礼拝するように神様は定められました。この会見の天幕での礼拝は、聖書によると天

国の模型だと言います。


ヘブル 8:5 その人たちは、天にあるものの写しと影とに仕えているのであって、 

本体は天にあります。


天では圧倒的な礼拝が行われています。そのコピー、縮小版としてこ の当時、会見の天幕や神殿がありました。そして教会もそうです。 

将来それが完全に実現します。僕らは天の御使いたちと一緒に神様を愛し、礼拝し、自分を 捧げ、喜びと感謝に満ち溢れます。完全な花嫁として自分の体も心も捧げます。今地上の教 会で礼拝しているのは、その天の礼拝の1/100か、ほんのすこしだけを経験しています。あ の人にこう言われた、とか、めんどくさいとか、いろんな罪の影響はあるけど、やがて私た ちは全ての罪から解放されて心から神様に捧げ切る日が来ます。その予行練習というか、天 国の一部を表しているのが地上の教会です。 いやいやでなく、強いられてでもなく、愛されるものとして喜んで身も心も捧げるのが目標 でありゴールです。今すでにそれが教会において始まっています。 


旧約の幕屋では24時間賛美のための奉仕者がいました。神様を愛し、神様への感謝と賛美 を捧げることは一番大事でした。 

賛美はただの歌や音楽ではなく、僕らが神様に最も喜ばれるささげものです。愛の行為で

す。賛美は天で大軍勢がささげている捧げているものです。僕らの地上での賛美は天の賛美

が同じ御霊によって地上で現れているものです。地上で賛美することは天の礼拝に参加する

ことです。賛美の本場は天にあります。



彼らは「昼となく夜となく彼らはその務めに携わった」(33) 


1歴代25章を読むと、神様の前で賛美するチームが24組作られたことがわかります。24時 間365日昼も夜も絶えず神様に賛美を捧げるためには24の賛美チームが必要でした。詳し くは書かれてないけど、一日1時間ずつ24チームが担当していたのか、一日2時間ずつ一日 12チームが出番があったのかわかりません。でも、止まることのない賛美はイスラエル全 体の心臓部でした。 


(1歴代25.1) また、ダビデと将軍たちは、アサフとヘマンとエドトンの子らを奉仕のために取り分け、立 琴と十弦の琴とシンバルをもって預言する者とした。 


賛美は祈りでもあるけど、預言です。神様の言葉を歌で宣言することです。しかもリズムに 乗せてです。会見の天幕からもいつも賑やかな歌が聞こえてきました。しかも止むことなく 「シンバル、十弦の琴、立琴を手に、主の宮で歌を歌って、」とあります。(1歴代25.6) それが神様に喜ばれる最高の捧げ物であり、天の賛美の現れでした。 


天の大軍勢が賛美しているその模型が幕屋の礼拝でした。 この奉仕をする賛美の人たちは他の奉仕を免れていました。神様が会見の天幕で一番大事に なさったのはこの賛美です。一番喜ばれるのは賛美です。賛美が24時間捧げられるように されました。これが天の写しです。 

僕らの目標とすべきことはたえず賛美することです。


新約聖書は、いつも喜びなさい、絶えず祈りなさい、全てのことについて感謝しなさい、と言います。ゴールです。喜び、祈り、感謝。これらが賛美です。喜びの「よ」祈りの「い」感謝の「か」良いか、良いか、というそうです。


歌とか音楽でなくても感謝できるし、祈れるし喜べます。感謝できます。賛美できます。神

様のすばらしさを言い表すことです。でも、歌とか音楽は喜びも感謝も倍増させてくれる

し、みんなで同じ言葉で、同じ時間に心を合わせるための方法です。

これがイスラエルの心臓部でした。教会にも適用できます。 最もイスラエルが栄えた時期は、ダビデとソロモンの時代。その心臓部分にあったのが賛美 です。 

今も、賛美は説教の前座ではありません。教会の中心は賛美、そいて僕ら人間の目標はゴー ルもたえず賛美と感謝を捧げることです。天では24時間賛美があります。僕らが地上で賛 美することはこの天国の賛美に参加することです。 良いか、良いか、いつも感謝しましょう。天の軍勢と心合わせていつも何をするにも感謝し 賛美しましょう。 


●まとめ 



1●賛美感謝できない私たちと、賛美と感謝に満ちた国

2●天の礼拝に招かれるのはキリストの血による

3●天の人らしく変わり続ける

4●昼も夜も賛美することがゴール


神様を喜び賛美する世界がゴールであり目標です。そしてすでにそれが始まってます。賛美 は最高の捧げ物であり、人生の目標です。 24時間賛美しましょう。感謝しましょう。僕らの目指すところは、不平や不満ではなく、 感謝と賛美です。 



●おまけ 赦しの祝福 


赦しの祈りの祝福


その1   自分の気持ちを神さまの前に注き出す。


いやな気持ちをそのまま神さまの前に言います。


祈りの例


神さま(   )を思い出します。(   )なことがありました。(どのようなことがあったかを言う)

私はそれについて(    )と感じています。(どんな気持ちか、具体的に言う。)

私はこのことで(人の名前をあげる。自分も含めて)のことを(     )だと思っています。(憎しみ、さげすみ、悲しみなど正直に言う。)


その自分がこのことにとのように対応したかを思い出す。


痛みや悲しみの中で悪いこと(仕返し、悪口など)をしたかどうか思い出してみます。また、忘れるために何かをしたか思い出して、神さまに言います。


祈りの例

神様、わたしは、この出来事の中で(   )をしてあなたを悲しませました。どうそこれらの罪をゆるしてください。あなたのきよめを感謝します。


その3 神さまは、相手をゆるすことを願っておられます。


神さまは相手をゆるすように願っておられます。仕返ししたい気持、 うらみ、 怒りなどをすべてイエス様にお任せしましよう。 相手をゆるし、自分もゆるし、ゆるさない心をきよめていただきましよう。


祈りの例

神さま(名前をあげる。)に対する気持をあなたににお任せします。私は(名前)をゆるします。


神さま(名前)をゆるさない心から私をきよめてください。そして、(名前)を祝福してください。


そのさばいてはいけません。


祈りの例


(人をさばいたと思う場合)

神さま、私は(名前)のことを、(  )と言ったり、(    )と考えたりしてさばきました。 この罪をおゆるしくたさい。

この、人をさばく罪をすてます。イエス様、あなただけが(名前)をさばく方です。(名前)を私のさばきの悪影響から解放してください。

そして、私もこのさばきの罪の悪影響から解放してください。


(人からさばかれていると感じる場合)

神さま、(名前)のような行動や(   )と言われたことにより、私はさばかれていると感じました。(名前)にさばかれていると思って私が受けた悪影響から解放してください。(名前)をゆるすことができるようにしてください。あなただけが私をさばかれるお方です。私を受け入れてくださることを感謝します。


その5 神さまのせいにしているかもしれません。


傷ついたり悲しんだりすることで、 神様にがっかりしたり、 神様に怒っているかもしれません。その結果、神様を拒否する思いがあるかも知れません。


祈りの例

神様、私は(出来事)について、 あなたに怒っていました。なたのせいにしていました。 このことはあなたを悲しませていました。 とうぞ私をゆるしてください。あなたへの怒り、うたがい、 (その他、 神様に対する悪い気持) から私を解放してください。 そして、 あなたと親しくできるようにしてください。


 






●おまけ 伝道と賛美 詩篇96篇から1-3節 


1,新しい歌を主に歌え。全地よ主に歌え。 2,主に歌え。御名をほめたたえよ。日から日へと御救いの良い知らせを告げよ。 3,主の栄光を国々の間で語り告げよ。その奇しいみわざをあらゆる民の間で。 


伝道しましょうというけど、順番が大事です。まず、主に向かって歌えです。まず神様に栄

光を捧げよ、神様に全ての力と栄光をお返しせよ、です。自分を捧げ、明け渡し、捧げる、

ということがまずあって、次にそれは人に伝わります。この順番が大事です。自分が感謝も

賛美も捧げてないのに、自分が喜んでないのに、自分が明け渡してないのに、人には伝わり

ません。

2節、主に歌え、ほめたたえよ。です。次にみ救いの良い知らせを告げよ、です。賛美する ことから福音は伝わり始めます。伝道が進む教会は大体は神様を喜び、神様に感謝している 教会です。自分がやらねば、という義務感とか、強制的に布教活動させられている、という のは神様の働きではなく、自分の頑張りです。2節3せつの順番が大事です。神様への感謝 と賛美は、天と繋がる霊的なものです。その神様との繋がり、霊的な交わりが、他の人にも 伝わっていきます。まず、神様との交わり、感謝。天と地の繋がりが、他の人にも伝わって いきます。 

ヨハネ 13:35 もしあなたがたの互いの間に愛があるなら、それによって、あなた がたがわたしの弟子であることを、すべての人が認めるのです。」 

家族に伝道するのが難しい、友達にクリスチャンだと言いづらい、という人が意外と多いと

思います。まずは神様に賛美し、感謝することです。自分で賛美するのではなく、神様の御

霊をもとめ、御霊に明け渡すことです。神様との関係が回復したら、その喜びは他の人にも

伝わります。互いの間に愛が与えられあます。


自分が好きなもの、愛していること、愛してる人、隠しても出てしまいます。そのように、

神様をほめたたえることは、他の人たちに告げ知らせることに繋がります。まずは神様で

す。次に周りの人たちです。


ヨエル1章

 ヨエル1章


食糧危機があり、戦争があり、人々の希望は失せて行きます。今も僕らはその渦中ですが、将来はもっとはっきりと、神様の裁きとしての苦しみの時代が来ることは聖書にハッキリと預言されています。「なんでこんなことが…」「あの国のあの独裁者が悪い」と僕らは言い、「こうして乗り切ろう」と知恵と力を総動員しますが、聖書はなんと、「全能者(神)による破壊の日として、その日は来る。」と言います。(16)昔起こった数々の飢饉や戦争、そして今もこれからも起こる苦しみは神様に戻るための神様からのメッセージです。聖書は自然災害による飢饉と戦争を重ねています。そして、両方とも神様からの警告であり、僕ら人間が悔い改めて神様に戻るためのメッセージです。



(4-7)

4,噛みいなごが残した物は、いなごが食い、いなごが残した物は、バッタが食い、バッタが残した物は、その若虫が食った。

5,目を覚ませ、酔いどれよ。泣け。泣き叫べ、すべてぶどう酒を飲む者よ。甘いぶどう酒があなたがたの口から断たれたからだ。

6,ある国民がわたしの国に攻め上って来た。それは力強く、数えきれない。その歯は雄獅子の歯、それには雌獅子の牙がある。

7,それはわたしのぶどうの木を荒れすたらせ、わたしのいちじくの木を木っ端にした。これを丸裸に引きむき、投げ倒し、その枝々を真っ白にした。



目的は僕らが今まで神様以外で満足し幸せになろうとしていたことをやめ、方向を変えて神様に向かうことです。「目を覚ませ、酔いどれよ。」(5)と神様は言われます。神様ではなく、神様が与えてくださったワインで満足し、幸せになろうとしてならそれはもはや偶像であり、神様を無視した快楽です。神様はわざわざ神様を忘れた快楽や幸せを断ち切って、もう一度全てを与えてくださる神様に戻るようにと呼びかけておられます。



(13-14)

13,粗布をまとって悼み悲しめ、祭司たちよ。泣き叫べ、祭壇に仕える者たちよ。私の神に仕える者たちよ、行って粗布をまとって夜を過ごせ。穀物と注ぎのささげ物があなたがたの神の宮から退けられたからだ。

14,断食を布告し、きよめの集会を召集せよ。長老たちとこの国に住むすべての者を、あなたがたの神、主の宮に集め、主に向かって叫び求めよ。

15,ああ、その日よ。主の日は近い。全能者による破壊の日として、その日は来る。

16,私たちの目の前で、食物が断たれ、私たちの神の宮から喜びも楽しみも消え失せたではないか。



今の僕らの苦しみは、将来世界規模で起こり、この世の終わりが来るための準備です。「全能者による破壊の日として、その日は来る。」と聖書は言います。(15)準備とは、悔い改めて神様に戻ることです。イエス様は、「悲しむ人は幸い」とおっしゃいます。(マタイ5章)この世の満足だけを求めていたことを認め、神様に戻ることができるからです。ワインがダメとか、娯楽がダメとかいう意味ではありません。「私たちにすべての物を豊かに与えて楽しませてくださる」のは神様ご自身です。(1テモテ6.17)ところが、僕らは神様よりもお金を神様にし、快楽を神様にし、自分の快適さを神様のように第一に求めがちです。


神様が僕らに与える苦しみは教育です。愛されている子どもは訓練を受けて矯正されます。(ヘブル12.6-7、1コリント11.32)やがて本番が来ます。本当にこの世の全てが消え去ります。今の苦しみは僕らがが罪を捨てて神様に戻るための通過点です。主を求める人には良いものに欠けることがありません。(詩篇32.10-11)喜びはこの世の楽しみから来るのではなく、天から与えられます。主を第一とする人には全て必要が与えられ、終わりの日も守られます。(マタイ6.33、ヨハネ3.16-18)


苦しみは神様からの愛のメッセージです。悔い改めましょう。神様に戻りましょう。祈りましょう。自分の罪も、隣人の罪も、あの独裁者の罪も、一緒に謝りましょう。祈りましょう。戻りましょう。神様からの愛の警告です。



2023年9月21日木曜日

2コリント11.21-33

 2コリント11.21-33


師匠である阿部牧師から言われたことが忘れられません。「牧師が悪いと批判され、攻撃されたら健全。イエス様がそのように罵られたお方だから。」


コリント教会に入り込んでいたニセ教師たちは人から奪い、威張り、褒められ、支配する人たちでした。自分たちこそ正当なイスラエル人であり、かつキリストのしもべだと自慢し、自己推薦していたようです。パウロはそんなニセ教師たちと比較しようとは思わなかったし、比べ合うのは愚かなことだと言い切ります。(10.12)ですが、「だれかがあえて誇るのなら、私は愚かになって言いますが、私もあえて誇りましょう。」と言い、自慢できることを話し始めます。(21)その内容はこの世の栄光とは真逆、ニセ教師たちが自慢していることとは正反対でした。



(23-31)

23,彼らはキリストのしもべですか。私は狂気したように言いますが、私は彼ら以上にそうです。労苦したことはずっと多く、牢に入れられたこともずっと多く、むち打たれたことははるかに多く、死に直面したこともたびたびありました。

24,ユダヤ人から四十に一つ足りないむちを受けたことが五度、

25,ローマ人にむちで打たれたことが三度、石で打たれたことが一度、難船したことが三度、一昼夜、海上を漂ったこともあります。

26,何度も旅をし、川の難、盗賊の難、同胞から受ける難、異邦人から受ける難、町での難、荒野での難、海上の難、偽兄弟による難にあい、

27,労し苦しみ、たびたび眠らずに過ごし、飢え渇き、しばしば食べ物もなく、寒さの中に裸でいたこともありました。

28,ほかにもいろいろなことがありますが、さらに、日々私に重荷となっている、すべての教会への心づかいがあります。

29,だれかが弱くなっているときに、私は弱くならないでしょうか。だれかがつまずいていて、私は心が激しく痛まないでしょうか。

30,もし誇る必要があるなら、私は自分の弱さのことを誇ります。

31,主イエスの父である神、とこしえにほめたたえられる方は、私が偽りを言っていないことをご存じです。



今も昔も教会指導者の自慢と言えば輝かしい業績のように何人の人をキリストに導いたか、とか、祈ったらあの人が癒やされた、とか、この教会は何人集まってるとかを話しがちです。ところが、パウロは傷つけられ、苦しんだことを誇ります。キリストのために苦しむことこそ、キリストに倣うことであり、喜ばれるささげものだと知っていたからです。



(1ペテロ2.19-21)

もしだれかが不当な苦しみを受けながら、神の御前における良心のゆえに悲しみに耐えるなら、それは神に喜ばれることです。

罪を犯して打ちたたかれ、それを耐え忍んでも、何の誉れになるでしょう。しかし、善を行って苦しみを受け、それを耐え忍ぶなら、それは神の御前に喜ばれることです。このためにこそ、あなたがたは召されました。キリストも、あなたがたのために苦しみを受け、その足跡に従うようにと、あなたがたに模範を残された。



僕らは教会の仲間の苦しみを見聞きする時、仲間が神様から離れていくときにすごく悲しくなります。できれば問題には関わりたくありません。こっちが傷つかないようにしよう、と思います。でも、イエス様は違います。そしてパウロも違います。一緒に苦しみ、一緒に傷つき痛むことを選びました。「だれかが弱くなっているときに、私は弱くならないでしょうか。だれかがつまずいていて、私は心が激しく痛まないでしょうか。」(29)イエス様は「その足跡に従うようにと、あなたがたに模範を残された。」と言われます。(1ペテロ2.21)




パウロはキリストと同じような道を歩みたい、その足跡に倣いたい、と願っていました。キリストと一緒に死に、キリストと一緒に栄光の復活に参加するのが彼の願いです。だから宣教のために苦しむことはキリストと一緒に歩むことの証だし、誇りでした。


僕らの世界もまた地位や財産、学歴や外見や能力を誇りがちで、キリストと一緒に苦しむことを誇る人はあまりいません。でも、聖書は言います。弱くされることは、キリストに倣うことです。忍耐することは喜ばれることです。そして、弱い時こそキリストの愛と力と救いだけを体験します。パウロは言います。「私は、キリストのゆえに、弱さ、侮辱、苦悩、迫害、困難を喜んでいます。というのは、私が弱いときにこそ、私は強いからです。」(2コリント12.10)

今日も試練はあります。神様からの罰ではなく、キリストと一緒に低くされ、キリストと一緒に忍耐し、キリストと一緒に傷つくためです。「悲しみに耐えるなら、それは神に喜ばれることです。」ハレルヤ!



2023年9月18日月曜日

2コリント9.6-14

 2コリント9.6-14


貧しい人たちに与えると、結果はいいことだらけです。「受けるより与える方が幸い」と言われている通りです。(使徒20.35)まず、神様に喜ばれ愛されます。(7)そして、もっと隣人を愛するために神様がさらにお金を預けてくださいます。(8,10-11)何より自分の中の平安と喜びは増え、必要は満たされます。(8)さらに惜しみなく喜んで人に与えるように変えられます。(11-12)



(7-8)

7,一人ひとり、いやいやながらでなく、強いられてでもなく、心で決めたとおりにしなさい。神は、喜んで与える人を愛してくださるのです。

8,神はあなたがたに、あらゆる恵みをあふれるばかりに与えることがおできになります。あなたがたが、いつもすべてのことに満ち足りて、すべての良いわざにあふれるようになるためです。



神様に喜ばれると、お金の面だけでなく全ての面で祝福されます。「すべてのことに満ち足りて、すべての良いわざにあふれるようになる」「あなたがたは、あらゆる点で豊かに」なると書かれています。(8、11)与えるほどに貧乏になるどころか豊かになります。失敗しない投資のようだし、収穫が保障された種まきのようです。種はもう手元に与えられています。あとは蒔くだけです。神様を信頼して、喜んでたくさん蒔く人はたくさん収穫します。与える人は豊かになり、その人はさらに与える人になります。良い循環しかありません。


(6)

わずかだけ蒔く者はわずかだけ刈り入れ、豊かに蒔く者は豊かに刈り入れます。


(10-12)

10,種蒔く人に種と食べるためのパンを与えてくださる方は、あなたがたの種を備え、増やし、あなたがたの義の実を増し加えてくださいます。

11,あなたがたは、あらゆる点で豊かになって、すべてを惜しみなく与えるようになり、それが私たちを通して神への感謝を生み出すのです。

12,なぜなら、この奉仕の務めは、聖徒たちの欠乏を満たすだけではなく、神に対する多くの感謝を通してますます豊かになるからです。



人は忘れ、何の見返りもないように見えます。その時こそチャンスです。施しをする時には右の手がすることを左の手にさえ知られないほどに知られず、隠されていて大丈夫です。(マタイ6.3-4)神様はそれを見て覚えています。永遠にです。「彼は貧しい人々に惜しみなく分け与えた。彼の義は永遠にとどまる」とあります。(9)神様はそれを増やし、僕らに感謝を生み出させ、賛美を与え、さらにに人にも慕われるというおまけ付きです。(14)



(13-15)

13,この務めが証拠となって、彼らは、あなたがたがキリストの福音の告白に対して従順であり、自分たちや、すべての人に惜しみなく与えていることを理解して、神をあがめるでしょう。

14,そして彼らは、あなたがたのために祈るとき、あなたがたに与えられた、神のこの上なく豊かな恵みのゆえに、あなたがたを慕うようになります。

15,ことばに表せないほどの賜物のゆえに、神に感謝します。



手元にあるお金を人を愛するために使いましょう。いやいやでなく、強制でもなく、決めた通りで大丈夫、誰にも知られなくても大丈夫です。驚くような結果が待ってます。オススメします。

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アップルの創始者のスティーブ・ジョブズ氏の「最後の言葉」というのがあったので紹介します。


「私が勝ち得た富は、私が死ぬ時に一緒に持っていけるものではない。私があの世に持っていける物は、
愛情にあふれた(ポジティブな)思い出だけだ。これこそが本当の豊かさであり、あなたとずっと一緒にいてくれるもの、あなたに力をあたえてくれるもの、あなたの道を照らしてくれるものだ。(…中略…)誰もが、いつか、人生の幕を閉じる日がやってくる。あなたの家族のために愛情を大切にしてください。あなたのパートーナーのために。あなたの友人のために。そして自分を丁寧に扱ってあげてください。他の人を大切にしてください。」

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僕らの人生、意外と短いものです。天国にお金は持って行けません。愛するために使いましょう。溜め込んでも何も生まれませんが、与える時に驚きの祝福を体験します。心で決めた通り、まずは与えられている手元のものでやってみましょう。大丈夫、保障されています!


2023年9月14日木曜日

2コリント6章

 2コリント6章


神様の恵みと愛は僕らが思うよりもずっと大きく、毎日、この瞬間も注がれています。ただ、問題は僕らがそれを知らず、よそ見をしていることです。流しソーメンが大量に来ているのによそ見をしてムダにしているみたいです。ジュースが注がれているのにコップを出さなかったり、蓋をしてたりしてムダにこぼしているようです。


(1-2)

1,私たちは神とともに働く者として、あなたがたに勧めます。神の恵みを無駄に受けないようにしてください。

2,神は言われます。「恵みの時に、わたしはあなたに答え、救いの日に、あなたを助ける。」見よ、今は恵みの時、今は救いの日です。



パウロがコリント教会の皆さんに注ぐ愛は神様からの愛です。パウロは「神とともに働く者」です。神様の恵みと愛はパウロを通して注がれているのに、受け取る側が心を狭くして受け取り損ねているようです。



(11-13)

11,コリントの人たち、私たちはあなたがたに対して率直に話しました。私たちの心は広く開かれています。

12,あなたがたに対する私たちの愛の心は、狭くなってはいません。むしろ、あなたがたの思いの中で狭くなっているのです。

13,私は子どもたちに語るように言います。私たちと同じように、あなたがたも心を広くしてください。



今日も愛と愛も救いも十分に与えられています。だのに、僕らは他のものをアテにしたり、どっちつかずだったりします。他からも欲しがる時に、神様からの十分な愛と恵みをムダにしてしまい、受け取り損ねてしまいます。



(14)

14,不信者と、つり合わないくびきをともにしてはいけません。正義と不法に何の関わりがあるでしょう。光と闇に何の交わりがあるでしょう。

15,キリストとベリアルに何の調和があるでしょう。信者と不信者が何を共有しているでしょう。

16,神の宮と偶像に何の一致があるでしょう。私たちは生ける神の宮なのです。神がこう言われるとおりです。「わたしは彼らの間に住み、また歩む。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。



神様の願いは、僕らが心を開き、明け渡して信頼することです。神様に愛されている子どもらしく、お父さんを信頼して委ねることです。疑ったり、ほかとの天秤にかけること自体が、もう神様との親密な愛の関係を失わせています。



(17-18)

17,それゆえ、彼らの中から出て行き、彼らから離れよ。──主は言われる──汚れたものに触れてはならない。そうすればわたしは、あなたがたを受け入れ、

18,わたしはあなたがたの父となり、あなたがたはわたしの息子、娘となる。──全能の主は言われる。」



今日は救いの日、恵みの日です。神様の愛と救いは十分に注がれています。問題は僕らの側です。神様が愛してくれないのではありません。「あなたがたの思いの中で狭くなっているのです」(12)


神様の恵みと愛は僕らが思うよりもずっと大きく、毎日、この瞬間も注がれています。信じて受け取りましょう。神様一筋でいきましょう。見よ、今は恵みの時、今は救いの日です。ハレルヤ!

2023年9月13日水曜日

2コリント5.14-21

 2コリント5.14-21


隠されている罪を暴くとか、責任を追求するとか、なんか正義のヒーローっぽく見えるし、ワクワクします。「自分が声を上げねば」とも思います。前提として僕らは「自分はいい人、相手が悪い人」と思っているようです。


暴露とか告発大好きな僕らですが、神様は違います。「背きの責任を人々に負わせず」と聖書にあります。(19)人は他人をその人の過去とか、性格の長所短所とか、立場とか業績とかで見ますが、聖書は「私たちは今後、肉にしたがって人を知ろうとはしません。」と言い切ります。(16)人があれをした、これをした、という人間的なことで評価しないし、そもそも、その人がキリストを信じ受け入れた時点でその人の過去は「死んだ」と言います。



(14-17)

14,私たちはこう考えました。一人の人がすべての人のために死んだ以上、すべての人が死んだのである、と。(…中略…)

16,ですから、私たちは今後、肉にしたがって人を知ろうとはしません。かつては肉にしたがってキリストを知っていたとしても、今はもうそのような知り方はしません。

17,ですから、だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。



傷も恥も罪もある僕らは死にました。もういません。過去は過ぎ去りました。そして、イエス様と一緒に新しく造られ、新しく生まれました。だから欠点とか性格で評価する必要は無くなりました。「今後、肉にしたがって人を知ろうとはしません。」「古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」(16-17)


でも、実際、過去にやらかした悪影響はあります。その罪に対する神様の怒りと責任追求はあります。その神様の怒りと呪いはイエス様が引き受け、罪人となり、死んでくださいました。


(21)

神は、罪を知らない方を私たちのために罪とされました。それは、私たちがこの方にあって神の義となるためです。



僕らは神様から「無罪」と言われます。それは僕らが償いをしたからではなく、イエス様がその罪を全て引き受けてくださったからです。僕らが良くなったのではなく、神様が「神様の義」(21)を与えてくださるからです。

もう、仲間のことも自分のことも、あれをやらかした人、と思い出す必要はありません。義とされた人、赦された人、新しく造られた人です。


神様は責めてません。ああだこうだ言うのは人間だけです。神様は和解を、そして義を与えてくださってます。

このメッセージを僕らは神様から預かりました。隣の人に伝えましょう。神様は責めていません。


(18-20)

18,これらのことはすべて、神から出ています。神は、キリストによって私たちをご自分と和解させ、また、和解の務めを私たちに与えてくださいました。

19,すなわち、神はキリストにあって、この世をご自分と和解させ、背きの責任を人々に負わせず、和解のことばを私たちに委ねられました。

20,こういうわけで、神が私たちを通して勧めておられるのですから、私たちはキリストに代わる使節なのです。私たちはキリストに代わって願います。神と和解させていただきなさい。


今日も神様の視点で人を見ることができますように。そして、この和解と再生のメッセージを一人でも多くの人が知ることができますように。ハレルヤ!





2023年9月12日火曜日

2コリント5.1-10

 2コリント5.1-10


キャンプ用テントにずっと住むことはできません。ずっと使ってるとだんだん破れてくるし、壊れてきます。そのように、僕らの肉体のことを聖書はテントのように表現します。「幕屋」はテントのことです。


(1-4)

1,たとえ私たちの地上の住まいである幕屋が壊れても、私たちには天に、神が下さる建物、人の手によらない永遠の住まいがあることを、私たちは知っています。

2,私たちはこの幕屋にあってうめき、天から与えられる住まいを着たいと切望しています。

3,その幕屋を脱いだとしても、私たちは裸の状態でいることはありません。

4,確かにこの幕屋のうちにいる間、私たちは重荷を負ってうめいています。それは、この幕屋を脱ぎたいからではありません。死ぬはずのものが、いのちによって吞み込まれるために、天からの住まいを上に着たいからです。



今の体はテントです。疲れやすくなった、目もかすむ、耳が遠い、もの忘れがひどい、などなど老化は進みます。でも大丈夫です。

次に与えられる体は「神が下さる建物、人の手によらない永遠の住まい」です。聖書は栄光の体、御霊の体です。(1コリント15章)疲れもないし、もの忘れもないし、最高に美しく強い体です。しかも、それは「主のみもとに住む」ことです。(8)

入居する権利書をもらっている人ように、僕らには保証があります。御霊は保証です。契約はもう済んでいます。新しい生活は決定事項です。しかも、新しい体、新しい住まい、主と一緒にいる人にふさわしく、今から準備が始まっています。


(5-10)

5,そうなるのにふさわしく私たちを整えてくださったのは、神です。神はその保証として御霊を下さいました。

6,ですから、私たちはいつも心強いのです。ただし、肉体を住まいとしている間は、私たちは主から離れているということも知っています。

7,私たちは見えるものによらず、信仰によって歩んでいます。

8,私たちは心強いのですが、むしろ肉体を離れて、主のみもとに住むほうがよいと思っています。

9,そういうわけで、肉体を住まいとしていても、肉体を離れていても、私たちが心から願うのは、主に喜ばれることです。

10,私たちはみな、善であれ悪であれ、それぞれ肉体においてした行いに応じて報いを受けるために、キリストのさばきの座の前に現れなければならないのです。



新しい生活が待っています。今から準備しましょう。

今が本番ではありません。地上の歩みは準備です。今から主に喜ばれる人として整え中です。

地上の人生が終わってからが本番です。準備しましょう。ハレルヤ!